芸能

輪島と中畑清と3人で混浴〜島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

いつものように、たけしと銀座のクラブへ飲みに行って、パッと横を見たら隣のテーブルに元横綱の輪島さんが座っていたことがあった。

輪島さんは、タニマチと付き人4~5人で飲んでいたな。たけしと2人で大盛り上がりしていたら、輪島さんが「楽しそうだね。ちょっと話を聞かせて」と寄って来たから「いいですよ」と快諾し、輪島さんらを笑わせていたんです。

当時、俺らはワインは飲まなかったけど、輪島さんの席はタニマチの方が高級ワインを頼んでいてね。それを輪島さんのお弟子さんがガブガブ飲み干してしまった。すると輪島さんが「高級なワインはガブガブ飲むんじゃなくてチビチビ味わって飲め」とたしなめたら、今度はゴクゴク飲みだした。「お前ら、チビチビとゴクゴクの違いも分からないのか」と怒鳴っていたね。

タニマチの方が「漫才師もライブとかあるでしょ。チケット買うよ」と申し出てくれたんですけど、漫才師は自分でチケットを手売りすることがないのよ。だから断ったら秘書の人が革のアタッシュケースを持って来てね。中に2000万円くらいの現金が入っていた。タニマチの方が300万円くらいを鷲掴みにして「はい、小遣い」と差し出すから「そんな大金もらえません」と断りましたよ。

芸をして5~10万円を祝儀でもらうことはありますけど、何もしてないのにそんな大金受け取れないでしょ。そうしたらお弟子さんが「僕にください」と割って入ってきた。輪島さんに叩かれていましたね(笑)。

ちゃんこじゃなくて焼きそばが出てきた

翌朝、輪島さんに稽古を見に来るよう誘ってもらって、たけしと2人で花籠部屋へ向かったんです。車を降りると、お相撲さんぽい人に「こちらへどうぞ」と案内され、その場所に座っていると「これ食べませんか?」とソース焼きそばとお茶を出された。

たけしと「花籠部屋はちゃんこ鍋じゃなくて、これしか食べないのかな」と話していると、花籠部屋のマネジャーさんが来て、「そこは日大相撲部です。部屋はこっちですよ」と言うじゃないですか。花籠部屋と日大の相撲部は隣り合っていたんです。おかしいなとは思ったけど、部員はみんな太っているし、土俵もあるから間違えていた。

改めて、花籠部屋へ行くと、キャンプ前に体を鍛えに来ていた巨人の中畑清さんがいたんです。中畑さんを撮影しようとスポーツ紙のカメラマンもいましたね。輪島さんに「俺の体を1センチでも動かせたら1万円あげる」と振られ、思いっきりぶつかったけど、微動だにしない。輪島さんは親方になっていたけど、横綱はすごいなと思いましたね。

稽古が終わって、部屋にある大きな風呂に輪島さん、中畑さん、俺の3人で入ることになった。3人の組み合わせがよほど珍しかったのか、翌日のスポーツ紙にその写真が掲載されたんです。そうしたら、広島カープの山本浩二さんから電話が掛かってきて「新聞見たよ。洋七はずっと広島ファンと言っとるけど、本当は巨人ファンだろ。うちの選手もみんなそう言っとるぞ」と冗談で脅かされました。

「ちゃいます。たまたま部屋へ遊びに行ったら中畑さんがいたんです」

もちろん、俺は広島ファンですよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

あわせて読みたい