「風と雪におびえて中止」田中角栄の事件史外伝『炭管事件と獄中立候補』Part6~政治評論家・小林吉弥
昭和23(1948)年1月13日、小菅の東京拘置所を保釈された1年生代議士の田中角栄は、その日のうちに上越線の夜行列車に飛び乗り、6時間半を費やして翌14日未明、新潟県・南魚沼の六日町駅に降り立った。1月23日の投票日までわずか10日を残すのみ。すでに選挙戦は終盤に入っていたのである。
それにしても、なぜ田中は当時「辺境の地」と言われたこの南魚沼の地で、火急の折の第一歩を踏み出したのか。
この南魚沼一帯は、わが国でも名にしおう豪雪地帯で知られている。住民は、1年のうち3分の1を深い雪の中で暮らさなくてはならない。上越線の新潟-群馬間の清水トンネルが開くまでは、新潟県人でさえも「あそこは人間の住むところではねェ」とまで言って、はばからなかったくらいである。また、一般住民の生活も貧しく、農業の一方で、材木、蚕や種子を商いにする者が多かった。
こうした中、すでに田中はラジオでの政見放送の機会を逸しており、そのうえで“塀の中”帰りというハンデ持ちゆえに、本来ならこうした「辺境の地」ではなく、長岡市など有権者の多い都市部で、票の獲得を目指したほうが得策と考えるのが一般的だ。しかし、あえて田中は、この地に第一歩を踏み出したのである。
“辺境の地”で票を掘り起こすしかなかった
筆者は40年ほど前、田中の強大無比の後援会「越山会」で、のちに幹部となる南魚沼の2人の田中支援者を取材したことがある。ボロボロになっている当時の取材メモ帳には、田中がなぜ、まず南魚沼だったのかが、よく分かるコメントが記されている。「田中が戦時中に経営していた『田中土建工業』で、材木の買い付けにやってきたのが、この地との出会いだった。その後、代議士にチャレンジしたわけだが、都市部などはすでに有力議員が地盤を固めており、食い込める余地がなかった。そのため、やむなく南魚沼も含めた選挙区内の『辺境の地』で、票を掘り起こすしかなかったわけだ。
結局、1回目の選挙は落ちたが、2回目で初当選を飾った。その頃には蚕や種子の問屋の旦那衆、すなわち地区の『重立ち』の支持を受けるようになった。スポンサーができたということだ。時に『カネもねェで、腹でもすかしとるんじゃねェか。メシを食っていけ』などと言うと、田中は『腹などはすいとらんッ。オレは、将来、必ず大臣になって見せる』などと、いささか横柄な若造だったが、見どころがあったというこっちゃ」
「重立ち」が田中支持に動いたもう一つの背景には、明治27年の上越線開通の恩人ともなる岡村貢という代議士が出て以来、南魚沼一帯から、久しく地域の代表たる国会議員を送り出せなかったという事情もあったようだ。
もう一人の南魚沼の田中支援者は、こんな話もしていた。
「初当選を飾った田中は、1年生代議士ながら法務政務次官となって、活動力はいやがうえにも増した。例えば、タバコ屋開店の陳情にいくと、嫌な顔ひとつせず『ヨッシャ、ヨッシャ』で実現してくれた。交通違反ちゅうことで警察に捕まっても、地元の署長にガツーンの一声でもらい下げてくれたもんだ。
一方で、初当選での田中の演説は、『南魚沼は新潟では一番奥地だが、東京からは一番近い“玄関口”だ。必ず、人が集まるときがくる。ワシが、必ずそうしてみせるッ』と、えらい意気込みだった。のちに総理のイスに座ったあと、言っておった。『ワシは恩を受けた人には、絶対に返すということを忘れたことはなかった』と。
なるほど、のちの上越新幹線の開業では、魚沼地方に越後湯沢、浦佐と2つの停車駅をつくってくれた。『炭管』ではしくじったが、やがて天下を取った。悪運も運のうち、田中は運の強い男だった」
ちなみに、田中は一貫してそうだったが、選挙結果の得票数より、その地の有権者が自分にどれだけ投票してくれたかの「得票率」を重視していた。出身地の刈羽郡、柏崎市などに伍して、南魚沼も常に圧倒的な得票率を出し続けたのである。
折からの豪雪で選挙運動ピンチ…
さて、六日町に保釈後の第一歩を降ろした田中は、以後、残り少ない選挙期間を大車輪で飛び回った。と言っても折からの豪雪で、馬車は馬の脚が雪に埋まって役に立たず。特別手当を出して人を雇い、ソリを引かせては他候補が入らぬ「辺境の地」、すなわち山間部にもどんどん入っていったものだ。
そうした中で、「朝日新聞」新潟県版(昭和24年1月18日付)は、田中の選挙区である〈新潟3区〉の選挙戦の模様を、次のように伝えたものだった。
「焦り気味の候補者四人が、小千谷から片貝へ向かった。三人は、風と雪におびえて中止。勇敢な一人が線路沿いに歩いて行ったら、鉄橋の真ん中で向こうから列車が進行してきた。“南無三”と橋ゲタにぶら下がって急場を助かり、辛くも演説会に間に合った…」
その「勇敢な一人」が田中角栄であることは、この魚沼地方ではほぼ一致していた。演説場での田中は、これ弁明の「小菅報告」から、まずは口を切るのが常であった。
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