「今夜は飲み尽くす」田中角栄の事件史外伝『炭管事件と獄中立候補』Part5~政治評論家・小林吉弥
昭和24(1949)年1月13日。上野発新潟行きの上越線夜行列車に、なにやらせわしげな男が2人乗っていた。
1人は、前民主自由党代議士にして前法務政務次官の田中角栄、もう1人は田中の秘書の曳田照治であった。田中はこの日の朝、小菅の東京拘置所を保釈で出たばかりであった。
田中は保釈されるとまず、拘置所に差し入れにきてくれていた花街・神楽坂の芸者置屋「金満津」に、あいさつに向かった。「金満津」は、自らが“旦那”となって間がなかった、お抱え芸者の「円弥」がいる置屋である。「円弥」はやがて芸者をやめ、のちに田中の「神楽坂夫人」と言われることになる辻和子である。その「金満津」のあと、諸々の所用を片づけてようやく飛び乗った夜行列車ということだった。
時に、前年12月23日、少数与党からの脱却を目指した吉田茂首相が、衆院を解散した。田中はこれを受け、直ちに東京拘置所内で衆院選への「獄中立候補」を表明した。投票日は年明けての1月23日で、田中は保釈申請をしたもののなかなか許可が下りずに、独房で一人ジリジリした日をすごしていたのだった。
そのうえで、ようやく保釈許可が出たのが、この日であった。選挙運動期間は、残すところあと10日しかなかった。
政治の裏表に通じていた秘書の曳田照治
吉田首相が解散を打った昭和23年12月23日は、東京・市ヶ谷で開かれていた極東国際軍事裁判(東京裁判)が終結し、絞首刑判決の下っていた東條英機元首相らA級戦犯7人の刑が、執行された日でもあった。さて、夜行列車は翌14日未明、選挙区である新潟県南魚沼郡の六日町に着いた。当時、上越線の上野駅から六日町駅までは、6時間半を要したのであった。この南魚沼一帯はわが国でも名にしおう豪雪地帯の一つで、住民は1年のうち3分の1を深い雪の中で暮らさなくてはならなかった。「あそこは人の住むところではない」との声が出た時代もあったほどである。秘書の曳田は、実家が六日町の手前の塩沢ということで、せっかくなので寄っていくことになり、すでに下車していた。
ちなみに、この曳田秘書、政治の裏表に通じ、恰幅もいい大物秘書として聞こえていた。「チョビひげ野郎」と呼ばれ、元気は人一倍だったこの頃の田中は、この曳田に大いに助けられたものだった。
曳田は、例えば田中が受けた陳情の予算獲得のため省庁の担当者にあいさつに行くと、まま担当者が席をはずしている隙に、机の上にうず高く積まれている申請書類の上のほうにある田中のそれを取り出し、一番下にすべり込ませてしまう。こうして早い段階からの申請にしてしまうことなど、朝メシ前といった“大物”でもあった。結果、役人も押え込んでいたということである。
さて、田中が六日町駅に降りると、折からの豪雪でそれは8メートルを超えていた。そうした雪をかいくぐり、足を取られつつ着いたのは、旅館「越前屋」であった。
すでに田中は小菅から、有力な後援者の一人の家に「ギカイカイサンス タノム タナカカクエイ」の電報を打っており、「越前屋」にはこの有力者の声がけで、近隣の集落から10人ほどの後援者が集まっていたのだった。
このとき駆け付けていた後援者の一人で、のちに結成される田中の後援会「越山会」の有力幹部ともなる人物に、筆者は当時の模様を取材している。後援者はこう言っていた。
「バイタリティーでは知られた田中だったが、さすがの拘置所生活と夜汽車での疲れからか、旅館に入るとすぐ泥のように寝入ってしまった。田中は何事にも手回しのいい男だから、すでに『ギカイカイサンス』の電報を打ってきている。もちろん『カネタノム』が本意だが、そんなことは打たん。すべて、了解済みで、有力者は弁当箱くれェの5万ナンボかの札束をかき集めて持ってきていた。
「50代で田中内閣を組織してみせるぞ」
ところが、雪をかき分け、ようやくカネを持って駆け付けたのに、田中は寝ている。さすがに、その有力者もアタマに来たようで、田中が寝ている枕を蹴っとばした。まァ、『人を呼びつけておいて、寝ているとは何だ』ということだろう。田中は、そりゃあビックリして飛び起きた。畳に手をつき、ひと言『すまんかった』と頭を下げていた。まァ、弁解せんところが田中のエエところだが、札束は直ちにカバンにしまい込んだナ。朝メシのとき、つくづく言っていた。『小菅じゃ、こんな味噌汁はのめなかった。うまい、うまい』と」
その夜は、場所を料理屋「仙田屋」に移し、今度は支援者120人ほどが集まっての“田中激励会”が開かれた。床の間に座った田中は、すっかり息を吹き返し、こうぶち上げたのだった。
「今夜は六日町に酒ある限り飲み尽くすッ。オレはね、20代で代議士だが、30代で大臣、50代で田中内閣を組織してみせるぞ」
ここにも出席していた前出の有力幹部は、「そりゃあ、えれェ気迫だった」と、感心しきりだったのである。
残りわずか10日の選挙戦は、もとより田中ならではの獅子奮迅、怒濤のそれとなったのだった。
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