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俳優・宝田昭“通がうなる百戦錬磨の強者”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

宝田昭
宝田昭 (C)週刊実話Web

高校時代の宝田明は、すでに身長が179センチもあった。

この世代の日本人男性としては、例外的な長身である。当人は大学進学を望んでいたが、経済的な事情もあって断念した。

知り合いの写真店に勧められ、『東宝ニューフェイス』(オーディション)に応募したところ、岡田眞澄、佐原健二、藤木悠らと共に第6期生として合格する。1953(昭和28)年のことであった。

宝田は研修期間中の54年、特撮映画の金字塔でもある『ゴジラ』の主演に抜擢され、堂々のデビュー。異形の怪物退治に情熱を燃やす青年役を熱演して、注目を浴びる。その後は青春映画、ラブロマンス、コメディーを中心に、東宝の看板スターとして第一線の二枚目俳優であり続けた。

宝田は趣味も幅広く、根っからの凝り性で、特にゴルフと麻雀には目がない。コースを回った後で、19番ホール(すなわち麻雀)を楽しむ。

麻雀に対する接し方は各人各様だが、単にギャンブルとして捉える人もいれば、ストレス解消やボケ防止などの目的で牌を握る人もいる。宝田の場合もいくつかの要素を含んではいるが、1つ挙げるとすれば、それは社交術、交際術に尽きる。

国際俳優としても知られる彼は、年に数回、プライベートで海外に招かれ、中でも香港との結びつきが深い。62年の主演映画『香港の星 Star of Hongkong』では、当時の香港ナンバーワン女優であった尤敏と共演して話題を呼んだ。

尤敏は96年に惜しくも他界したが、生前は家族ぐるみで宝田と親交を深めていた。そして、彼女の家に招かれると、すぐに麻雀卓に座らされたという。これは麻雀が盛んな香港流の接客で、歓迎の意味が含まれている。

見事なアガりにギャラリーから拍手

百戦錬磨の宝田は、どの国のルールであっても平然と打ち始める。招待側の反応を見ていると、がむしゃらにアガりに向かう麻雀よりも、手作りを重視する傾向らしい。

そのことに気づいた宝田は、美しいアガり形を最終目標に置いて手を進め、見事アガりに成功すると、対戦者はもとよりギャラリーからも一斉に拍手が起きたという。

どんなルールでも対応できる宝田の雀力は、芸能界の麻雀最強位を決定しようというテレビ番組『THEわれめDEポン』(フジテレビ系)でも、いかんなく発揮された。第2回に出場した宝田は予選と準決勝を勝ち上がり、決勝ラウンドにコマを進める。

同じく決勝に残ったのが加賀まりこ、加勢大周、中野浩一の面々。なにぶん超インフレ麻雀のため誰にでもチャンスがあったが、さすがに宝田はキャリアの相違をまざまざと見せつけた。

1回戦で初の親番となった宝田は、配牌でドラ三索がトイツ、ほかに二萬、四萬、三筒、九筒がトイツで、五索、六萬、七萬、南という手をつかむ。

その手に、三筒、九筒、三索ツモ、二萬、四萬のシャボテンで、ツモリ四暗刻のテンパイ。2巡後、加勢大周から二萬が出てきて親ッパネをアガり、そのまま逃げ切り優勝を果たした。

私は宝田と20年以上も前に対談したことがあり、その一部を抜粋してみた。

麻雀は最高の小道具

灘麻太郎「芸能界には麻雀が強いと言われる人は多いが、実際は度胸がいいだけであったり、引きが強かったりという人が多い。打ち慣れていて、しかも強いという人はそんなにいないが、宝田さんは間違いなく強い。理にかなった麻雀が打てる人で、本当に麻雀が好きなんだなぁと感じます」

宝田明「確かに麻雀は本当に好きですね。NHKの連続テレビ小説『私の青空』(2000年)に、地元のカラオケバーの経営者で、ちょっとキザなオヤジという役で出演しているのですが、舞台が青森県の下北半島にある大間で、夜になると津軽海峡の漁火がよく見える。でも、麻雀荘は1軒もない。

共演に加賀まりこもいるから、麻雀がやりたくてしょうがない(笑)。スタッフが地元の漁業組合から麻雀卓を見つけてきたので、久しぶりに手積みでやったのですが、自分でも本当に麻雀が好きなんだなぁと思いました」

灘「まさに乗っている状態ですね。普通の人でも仕事の調子がいいときは、麻雀の調子もいいのだから、負けるわけがない」

宝田「麻雀は東宝に入ってから覚えたのですが、当時はよく打ちました」

灘「昔から、物書きと役者は麻雀が強いと言われています。そんな中で鍛えられたのだから、相当に年季の入った麻雀ですね」

宝田「その頃の映画作りは、時間をたっぷりかけていましたから、空き時間、待ち時間が多分にありました。それに監督もスタッフも、麻雀好きが多かった。ロケの合間に麻雀をやって、終わるとまた麻雀。翌日に起きると、昨日と太陽の色が違うから、撮影は明日にしましょう…と(笑)」

灘「仲代達矢さんも麻雀を知らなかった。でも、映画『人間の條件』(59年)のロケ中に覚えてしまった、という話を聞いたことがあります」

宝田「そう、麻雀はコミュニケーションツール。まさしく最高の小道具ですね」

(文中敬称略)

宝田明(たからだ・あきら)
1934(昭和9)年4月29日生まれ。東宝を代表する二枚目俳優として鳴らし、テレビドラマやミュージカルでも活躍。66年に日本人初のミス・ユニバースに輝いた児島明子と結婚(84年に離婚)。声優、司会者としても人気を博す。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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