「一歩も引かぬ」田中角栄の事件史外伝『炭管事件と獄中立候補』Part3~政治評論家・小林吉弥

昭和23(1948)年11月中旬、時に満30歳の1年生代議士・田中角栄法務政務次官の東京・飯田橋にあった自宅と、社長を務める「田中土建工業」本社の双方に、東京高検特捜部の家宅捜索が入った。

捜索事由は、「炭管法案」を潰すため炭鉱業者が集めた法案成立に向けての反対運動資金5000万円のうち、九州の業者から田中のもとに渡ったとされる100万円の小切手による収賄容疑と、そのカネを法案成立の反対気運を高めるため、政党関係者に配ったとする贈賄容疑によるものだった。

こうした疑惑により田中は、法務政務次官就任から1カ月も経たぬ11月下旬、政務次官を辞任した。一方で、折から国会の会期中であったが、12月12日に逮捕許諾請求が出され、衆院本会議で逮捕が許諾されたのだった。

許諾を受けて田中は、翌13日、東京高検特捜部に出頭、取り調べを受けたあと容疑が固まったことで逮捕、22日、収賄容疑で起訴されたということだった。

ちなみに、この炭管事件は、社会党の片山哲首相が社会主義政策の具現とし、英国の労働党に学んで石炭産業の国有化を目指し、俗に「炭管法案」と呼ばれた臨時石炭鉱業管理法案を国会に提出したことに始まる。法案は第2次世界大戦によって国土が荒廃し、著しく低下した石炭生産を国家が管理することで増産に転じようとしたものだった。

これに対し、すでに「チョビひげ野郎」の異名をもらい、なんとも元気のいい田中は、衆院での委員会審議では「石炭を国家管理にすることは、黒い石炭を赤くすることであるッ」と“追及”したうえ、本会議場ではチマチマと動き回り、法案賛成議員の胸ぐらをつかんでは“威嚇”する行動力も示していた。

一歩も引かぬ強気な主張

こうした中で、突然の家宅捜索を受けた田中は、その直後の記者会見では、次のように「無実」をブチ上げた。一歩も引かぬ強気な主張と立て板に水の弁明は、何やらのちのロッキード事件でのそれを彷彿させたのである。

「私の会社はね、福岡と佐賀、そして東北の常盤地区に出張所を持っておるから、たしかに土建業者として炭鉱業者との業務上の関係はあります。しかしだッ、噂されておるような炭管モミ消しのために、炭鉱業者から不正のカネを受け取ったことは断じてない。今度の家宅捜索は、あくまで会社の業務上の帳簿調べにすぎないと思っていますよ。

それなのに、なぜ私は政務次官を辞めなきゃならんのかッ。辞めることなど、毛頭考えておらんのであります。まァ、高検の捜査に関して、法務政務次官の私は何も知らなかったわけだが、捜査当局の本来の在り方として、これは敬意を払っていますよ。まァねェ、うちでは炭鉱従事者の住宅(俗に言う「炭住」)や炭鉱坑道のレール敷設などの工事をやっておるため、九州の炭鉱業者からまだ1500万円くらいの取り立て分があるはずで、その関係上として若干のカネは入っているかもしれんですナ。

しかし、これらはいずれも取引関係のことのうえ、本社ではなく別会社のことだし、東京本社にはビタ一文も入っておらんですよ。ましてや、炭管反対のためのカネではまったくないということでありますッ」

要するに、100万円の小切手は炭管法案絡みではなく、「炭住」建設の代金の一部と主張したのだが、東京高検特捜部は聞く耳を持たず、逮捕に踏み切ったということであった。

田中のその後の「獄中」に関しては、こんなエピソードが残っている。

東京拘置所の独房に収監された直後、田中の妻・はなが面会に訪れた。はなの顔を見た瞬間、さしもの強気で鳴る田中も、看守の目をはばかることなくボロボロと涙を流したそうである。

もう一つ。それから30年近く経ったのちのロッキード事件で、田中が逮捕される一足先に、田中派幹部にして側近の橋本登美三郎(元運輸相)が逮捕、やはり東京拘置所に収監されていたのだが、田中は「小菅通」として“適切な指示”を与えたのであった。

「小菅通」を自称する田中角栄の面目躍如

田中の妻・はなが、橋本の妻を慰めようと花束を贈った。その橋本夫人から東京・目白の田中邸にお礼の電話が入ったとき、ちょうど田中が受話器を取った。礼を述べる橋本夫人に、田中はこうまくし立てたのだった。

「花束だ? まァそりゃあいいが、そんなもんより大事なことがある。小菅はね、食いもの、まず食いものだ。小菅のコトは、ワシが一番よく知っている。まァ、あとのことはワシがよろしくやるから、心配せんようにしなさい!」

その直後、かく“ムショ事情”を知る田中の指示で、独房の橋本のもとに栄養たっぷりの差し入れが連日届けられ、やがて橋本は保釈に至って元気な姿を見せた。なるほど、「小菅通」を自称する田中の面目躍如であった。

さて、炭管事件の裁判はと言えば、田中はその過程で一貫して収賄容疑を否認し、一方で公判のやり取りの中、裁判官が音を上げるくらいの“超頭脳”ぶりを見せつけたのだった。