島田洋七 (C)週刊実話Web
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優しくて女性らしい人…和田アキ子~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

和田アキ子さんはテレビ番組で「殴ったろうか」など、物騒なことを口にするから一般の人には怖いとか、強そうというイメージがあるかもしれませんね。でも、本当はすごく優しくて女性らしい人ですよ。


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和田さんとは漫才ブームの時、初めてテレビ番組で共演しました。「うわーB&Bや。ホンマに売れてよかったな。苦労したやろ」と声をかけてもらった。まだまだ大阪の芸人が東京に進出するのが珍しい時代だったから、親近感が湧いたんだろうね。それから時々、番組で一緒になることがあって、その度に「がんばりや。長く芸能生活を送っていかんとな」と励ましてもらったり、「なんぼ儲かってんねん?」と大阪の人らしいことも聞かれたことがありましたね。


一度、営業の仕事で岡山へ行くと、和田さんと岡山駅でバッタリ会ったんです。岡山でコンサートがあったんだろうね。歌手はコンサートでファンから花束などをプレゼントされるでしょ。和田さんとマネジャー、付き人の3人が抱えきれないほどの花束を抱えていましたから。


「それ、どないしましたん?」


「贈ってくれた人に悪いから、できる限り持って帰る。事務所が花でいっぱいになるけど、ありがたいやろ」


普通は、頂いた花は会場の人にあげたりして、1つくらいしか持って帰らないんです。優しくて素晴らしい人だと感心しましたね。


それと、『佐賀のがばいばあちゃん』が売れて、和田さんと高田純次がテレビ番組の企画で俺の家に泊まりに来ることになった時の話です。うちの嫁さんが和田さんに挨拶すると「こんなちゃんとした奥さんがいるとは思わんかった。六本木で会う時はいつもベロベロやもんな」と言われました。

一緒に食器を洗い始めた和田アキ子さん

近所の仲良くしている農家さんで撮影することになって現場に向かうと、みんなに「和田アキ子です。よろしくお願いします。今日は洋七くんの家にロケに来ています」と挨拶するんですよ。自宅に戻って囲炉裏で話しながら食事をする場面を撮影してロケは終了。和田さんは高田純次やスタッフらに「残したらアカンで。全部食べよう」となり、お酒もちょこっと飲みながら、いろんな話をしましたね。

そうしたら真剣な顔で「奥さんよかったね。2人で家出して一緒になって」と言ってくれてね。俺と嫁さんは、家族の反対を押し切って佐賀を出たんです。俺も芸人になるとか何も決めずにね。でも、ばあちゃんだけが「好きな人と一緒におるのが一番」と嫁さんの背中を押してくれた。当時を思い出すと、皇室と俺ら一般庶民は違うけど、眞子さんも好きな人と一緒になるのが一番だと思うね。


そろそろ寝る時間になったら、和田さんが皿や箸を率先して片付けだしたんです。しかも、台所でうちの嫁さんと一緒に食器を洗い始めた。これまでいろんなタレントさんが泊まりに来たことがあったけど、そんな人は初めてですよ。和田さんが嫁さんと食器を洗っている姿を見て、夢かなと思ったもんね。本当に女性らしい人ですよ。


嫁さんに和田さんの感想を後で聞くと、「緊張でカチコチだったけど、パッと手を見ると私の倍くらいでビックリした」だって。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。