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タレント・大橋巨泉“知られざる11PMでの功績”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

大橋巨泉
大橋巨泉 (C)週刊実話Web

大橋巨泉の生家は下町のカメラ屋だが、早稲田大学中退後にジャズ評論家となり、テレビ番組の構成なども手がけていた。

深夜番組のパイオニアとして知られる『11PM』がスタートしたのは1965年11月、同番組で司会を務め、大いに名を売った巨泉は当時31歳。報道と適度のお色気を取り混ぜた画期的な内容だったが、次第に後者の人気が高まり、『エロブンPM』とも揶揄された。

毎週月曜、水曜、金曜は東京の日本テレビが、火曜、木曜は大阪の読売テレビが制作し、巨泉をはじめ作家の藤本義一、タレントの愛川欽也らが司会を担当。アドリブを主体に自分を前面に押し出す巨泉に対し、藤本は聞き上手の才を発揮。東西のバランスが取れた長寿番組として、お茶の間の男性ファンを魅了した。

巨泉の功績は、競馬、麻雀、釣り、ゴルフ、ドライブ、ボウリングなど数多くの「男の遊び」をブラウン管に登場させた点にある。

今でこそ麻雀は、テレビでも生中継のスタイルでオンエアされるようになったが、60年近く前の時代はすべて録画撮りだった。

対局者の摸打から表情の捉え方、終了後の解説に至るまで、巨泉の緻密な指示が徹底されていた『11PM』は、後年の麻雀中継番組の基礎を築き上げたといって過言ではない。

対局者は、巨泉、小島武夫がレギュラーで、常連として阿佐田哲也、畑正憲、古川凱章、そして私、灘麻太郎ら数名の麻雀プロが参加。解説役も巨泉が担当していた。

『11PM』における男の遊び全般が、ユニークな〝巨泉流〟で貫かれていたのと同様、プライベートの麻雀も巨泉流に終始した。

まず、近年は常識になっている裏ドラがなく、ノーテン罰符(親流れ)もない。できる限り偶然性を排した巨泉式ルールでは、ビギナーが勝ちを収める確率が相当低くなる。

“強い者が勝つ”巨泉流の勝負哲学

強い者が勝ち、下手な者が負けるのは当然――というのが巨泉流麻雀の主張であり、勝負哲学でもある。

ノーテン罰符のルールは、フリー雀荘が回転を早くし、ゲーム代を効率よく得るための営業政策から生まれたものだが、終局近くになってテンパイ合戦になるような麻雀を巨泉は好まない。

巨泉はセミリタイアして海外に移住する前、伊豆の伊東に居を構えていたが、親しい麻雀仲間を東京から呼び寄せては卓を囲んでいた。招待される側は東京駅で待ち合わせ、新幹線「こだま号」に乗って熱海駅で下車。そこから乗り継いで伊東駅に到着すると、巨泉夫人で元女優の浅野順子が、車で出迎えてくれる。

ルールは前述した巨泉式で、これは『11PM』の麻雀実戦教室に準じていた。巨泉夫人は、飲み物や灰皿の始末など相応の心配りをしながら、手が空くと旦那の後ろで戦局を見守っていたものだ。

そんな時の巨泉は無邪気そのもので、首尾良くアガりまくると名フレーズ「野球は巨人、司会は巨泉」をもじって、「競馬は出目、麻雀はツキ」などと口走る。

揚げ句、役満でもアガろうものなら、もう有頂天。夫人を呼んで「ボクちゃんにチューして」と、頬を突き出すのである。

95年、巨泉、阿佐田、畑の3人で、麻雀を普及するためにはどうすればよいかをテーマに、ある月刊誌で座談会が行われた。

現在では、麻雀プロも3000人以上を数えるようになったが、かつては10人弱しか存在せず、タイトル戦を含め麻雀に関するイベントがある場合、作家や歌手、俳優といった有名雀豪と称する人々が、プロと一緒に参加していた。

ロマンを求めていた現実主義者

巨泉「僕はプロの人たちが、上級者だけを相手にしすぎると思う。『11PM』を見ているのは90%が中級以下の人たちですよ。自分たちを支持してくれるのは、誰なのかをはっきりつかんでほしい。答えは底辺を広げる努力をすることですよ」

畑「僕は古川が東京で雀荘(赤坂にあった『一風』)を持つのに反対した。そして『やるなら地方都市で』と意見を言ったんです。その昔に囲碁、将棋のプロたちが、普及のため決死の覚悟で努力したことにつながると思うんです」

巨泉「全国を行脚してね。木村(義雄)名人、その前に関根(金次郎)名人、坂田三吉の時代からね。しかし、何度も言うようだけど、麻雀の普及にはルールの統一が大前提ですよ」

しかし、私の場合、ルールの統一という部分には反対である。

日本における麻雀の場合、3人麻雀を含め幾多のルールがあり、各地方、企業、業界など、あらゆるところで麻雀が普及してきたことを、私は実体験として知っているからだ。

巨泉「麻雀が最後に到着するのは、昔、中国の宮廷で酒をくみ交し、和を保ちながら打った麻雀になるという気がする」

清の時代、遊ぶことしか仕事のなかった宮廷の人々が、毎日のように麻雀を楽しんでいたのは事実である。麻雀牌の「白板」「緑發」「紅中」の由来は、それぞれ女官の白粉、黒髪(中国では緑髪)、口紅になぞらえたものだとも言われている。

こうした発言を見る限り、普段の巨泉は現実主義者であるが、ある種、麻雀にはロマンを求めていた人物ではなかったか。

(文中敬称略)

大橋巨泉(おおはし・きょせん)
1934(昭和9)年3月22日生まれ~2016(平成28)年7月12日没。放送作家出身のタレントとして人気を博し、数々の長寿番組で司会を担当。90年、セミリタイア生活に入る。01年、参院選で当選するも翌年に議員を辞職。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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