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志水季里子VS五月みどり“至高の濡れ場”名場面!『日活ロマンポルノ』50周年~Part5~

(画像)conrado / shutterstock

1971年(昭和46年)に日活ロマンポルノが誕生してから、今年でちょうど50周年。

1988年(昭和63年)に製作が終了するまで、1000本以上の作品が生まれ、数多くの名女優がスクリーンを躍動した。レジェンドたちの輝かしい姿と豊潤な色香を誌上プレイバック!

後期のロマンポルノを牽引した女優が志水季里子(66)だ。ロマンポルノ第1作は83年の『ブルーレイン大阪』(監督・小沼勝)である。

この年に八代亜紀が出した曲と同じタイトルで、演歌ポルノの火付け役にする目的で作られた。

それだけに、スタッフの力の入れようも半端ではない。小沼監督は撮影中、志水にたっぷりラブ・フェロモンを出してもらうために、ロケバスの中でコンコンとラブシーンの演じ方を講義したという。その甲斐あって、広瀬昌助とのカラミは素晴らしいものに。熱のこもった演技が繰り広げられ、無事完了。大成功に終わった。彼女はこの後、ロマンポルノの柱となって次々と出演していく。ついでに言えば、この2人は4年後に結婚することになる。

志水の役柄は団地妻あり、女教師あり、SMありと、さまざまなジャンルでプログラムを支えた。それが可能だったのは、小さいときからテレビや舞台で演じていたからだが、後期のロマンポルノにしっかりと芝居ができる女優が少なかったことも関係している。

セリフがまったくダメな子の代わりに、アフレコで喘ぎ声を出したこともあったという。『ロマンポルノに恋して』を書いた作家の滝川杏奴は、志水についてこう語った。

「彼女の持つ不思議な色香は、数々の名作に刻まれています。あの相米慎二監督には、『ラブホテル』のとき『セリフとセリフの間が面白い』と評価されました。私は官能小説を書いているので、『映画化のとき、よろしく!』と言ったら、『もう、脱げないよ。見ている人の目が腐る~!』と笑わせてくれた。とてもユーモアのある素敵なお姉さんです」

外部スターの起用を始めた80年代

80年代に入ると、ロマンポルノは外部スターの起用を始めた。その最たる例が、歌手の五月みどり(82)だ。

すでに五月は75年の東映作品『五月みどりのかまきり夫人の告白』(監督・牧口雄二)で脱いではいたが、ハードな場面はなく、成人映画でもなかった。この時、彼女は36歳。

本格的に脱いでみせたのは、82年の4月に公開された日活創立70周年記念のエロス大作『マダム・スキャンダル 10秒死なせて』(監督・西村昭五郎)だ。米ロサンゼルスに行ってオールロケで撮った作品で、全身性感帯のマダムに扮して体ひとつで男たちを操ってみせる。

濡れ場は小松方正との山小屋での絡みから始まって、計5回。40半ばの熟女ならではの、ねっとりした官能が存分に楽しめる。二段腹に縄が絡みつくシーンが、妙にエロチックだ。

これが興収4億円を超えるヒットとなり、その1年半後に再登板となる。『ファイナル・スキャンダル 奥様はお固いのがお好き』(監督・小沼勝)だ。

タイトルから分かるように、マリリン・モンロー主演の『お熱いのがお好き』をもじった艶笑コメディー。質屋兼下宿屋を経営する五月が、若い下宿生の性の悩みを聞き、体でもって解決していく。

若い下宿生を演じたのは、すべてオーディションで選ばれた現役大学生たち。慣れない前張りをつけて、濃厚なシーンを演じてみせた。その素人を悠然と受け入れる五月の艶姿がたまらない。

「この作品は、五月みどりが自ら企画を持ち込んで作られた。タイトルも彼女が口にしたものがそのまま採用され、大受けだったという。主題歌『熟女B』もノリノリで歌い上げ、今でも歌謡曲マニアの間では人気が高い」(映画関係者)

五月のようなショーマンシップに富んだ艶スターは、もう現れることはないだろう。

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