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美保純VS山本奈津子“至高の濡れ場”名場面!『日活ロマンポルノ』50周年~Part4~

(画像)mnowicki / shutterstock

1971年(昭和46年)に日活ロマンポルノが誕生してから、今年でちょうど50周年。

1988年(昭和63年)に製作が終了するまで、1000本以上の作品が生まれ、数多くの名女優がスクリーンを躍動した。レジェンドたちの輝かしい姿と豊潤な色香を誌上プレイバック!

ロマンポルノ出身者として最大の成功者は、美保純(61)だろう。テレビCMからドラマ、ワイドショーのコメンテーターに至るまで、こなしているのは彼女ぐらい。ポルノ嫌いの山田洋次監督が、『男はつらいよ』でタコ社長の娘・あけみ役に抜擢したときなど、驚きの目で見られたものだ。

振り返ってみると、彼女も女優デビューして今年で40年になる。スタートは81年の日活買い取りピンク映画『制服処女のいたみ』(監督・渡辺護)。

女子高生がロスト・ヴァージンをする話で、美保純の初々しいフルオープンもふんだんに見られるが、それよりもダイナミックに踊りまくる姿が話題となった。それもそのはず、彼女はクランクインする少し前にディスコ・クイーンとなり、そのエピソードを元にして製作されたからだ。

このときすでに20歳だったが、1歳さばを読んで19歳としていた。その1年後、ロマンポルノで撮った『ピンクのカーテン』(監督・上垣保朗)が評判を呼び、若い男性のアイドルとなる。

兄と妹の〝禁断愛〟すれすれの危うい姿を描いた作品で、オープニングからお椀型の美しいバストが飛び出し、ラストでは兄・阿部雅彦にのしかかられて、あわやという場面も出てくる。

「美保純は明るくさっぱりしたところが良かったよね。『芸がないんだから、脱ぐしかない』『処女でこんな役できるかよ』なんて言って、笑わせてくれたものだ。彼女の代表作『ピンクのカーテン』シリーズを撮った上垣保朗監督は、そのキャラを画面にうまく引き出してみせた。お手柄ですね」(映画雑誌編集者)

彼女のロマンポルノ作品は5本主演して終わりとなるが、原点がここにあるのは間違いない。

画面から匂ってくるみずみずしさ

美保純がロマンポルノから去った後、新人女優として注目を集めたのが山本奈津子(56)だった。大きな話題となったのが、小田かおると一緒にレズビアンを演じた83年の『セーラー服百合族』(監督・那須博之)だ。

これがデビュー作で、2人のキャラの違いが面白く描かれている。ボーイッシュで活発なタイプの小田は、もともとバイで男性ともするが、真剣になれない。かわいらしい山本の方は、まだ男も知らずに小田と関係を結び、翻弄されていく。

お目当ての絡みシーンは幻想的で美しい。すっぴんに近い2人が肌を合わせ、唇を重ねるのだが、10代のみずみずしさが画面から匂ってくる。

当時、山本は18歳になったばかりで、正真正銘のヴァージンだった。経験がなかったので、絡みの場面で男性に愛撫されると、吐き気を催すほどだったという。その後、続編を2本作ってコンビは解消。お互い独自の道を歩んでいくことになる。

山本の場合は映画出演だけでなく、男性誌のグラビアを飾り、写真集も出版。それだけではなく、レコードまで出してみせたが、ファンクラブの支えもあって、どれも一定数の売り上げを記録したのだった。

「美少女系のニューフェースが途絶えていた頃でもあり、彼女がファンを一気にさらっていった。はかなげで『守ってあげなきゃ』と思わせたのでしょうね。金子修介監督が撮ったエロチック・コメディー『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(84年)は、彼女の魅力が満載で、マニアの間では今も人気があります」(映画関係者)

山本は約1年の間に、ロマンポルノ作品に8本出演。その後は一般映画やテレビドラマに活動の場を移したが、88年に結婚して女優を引退。現在はアロマテラピストとして活躍している。

―Part5に続く―

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