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永島暎子VS風祭ゆき“至高の濡れ場”名場面!『日活ロマンポルノ』50周年~Part3~

(画像)bart78 / shutterstock

1971年(昭和46年)に日活ロマンポルノが誕生してから、今年でちょうど50周年。

1988年(昭和63年)に製作が終了するまで、1000本以上の作品が生まれ、数多くの名女優がスクリーンを躍動した。レジェンドたちの輝かしい姿と豊潤な色香を誌上プレイバック!

永島暎子(66)は76年の日活青春映画『四畳半青春硝子張り』(監督・加藤彰)で、いきなり主演デビュー。その後、他社も含め数本の作品に出演したが、ほとんど話題にならなかった。

永島が脚光を浴びたのは、翌年10月に公開されたロマンポルノ作品『女教師』(監督・田中登)に主演し、凌辱的なシーンを演じたことによる。これは清水一行による同名小説を映画化したもので、実際にあった中学校での事件がヒントになっていた。

放課後、音楽室でピアノを弾いている音楽教師・永島暎子のところに、数人の男子生徒が押し入り、突如として襲いかかる。永島の顔にビニール袋をかぶせて床に引きずり倒すと、彼女は「イヤ! 離して」と激しく抵抗するが、最後には下着を引き裂かれて…。

実は、この場面を廊下から眺めていた同僚の男性教師がいたのだが、彼は少し前に彼女に振られたため、この件を訴えない。ショックを受けた彼女は少し後に自殺未遂を図るが、それによって物語は思わぬ方向に進んでいく。

「清純派女優の彼女がインモラルな内容の作品に出演し、苦痛にゆがむ表情を見せたのにはビックリした。デビュー当初から魅力的な女優さんだと思っていたが、これを見てすっかりファンになりました」(スポーツ紙・映画担当記者)

永島はこのときの演技で数々の映画賞に輝き、一流女優の仲間入りをする。ロマンポルノ出演作品では、81年の『狂った果実』(監督・根岸吉太郎)で演じた暴力バーのヒロイン役も印象的だ。バイトの男性の前で夫と愛し合ってみたり、その男性ともデキてしまったりと、気分任せで生きている姿をリアルに演じ、いまだ印象深い。

現場は想像以上の“肉体労働”だった…

日活ロマンポルノは凌辱的な作品を数多く作ってきたが、それによっていっそう輝く存在となったのが風祭ゆき(68)だ。ロマンポルノ第1作は80年の『赤い通り雨』(監督・小原宏裕)だったが、そのときから多くを演じている。車の中で、松林の中で、そして土砂降りの雨の中で…。車にひきずり込まれるシーンでは、車の屋根に頭をぶつけて、顔が腫れ上がってしまったほどだ。

風祭は、大島渚監督から「役者は肉体労働だからやってみたら。どんな映画でも主役はいいよ」と言われ、ロマンポルノ出演を決めたが、現場は想像以上の肉体労働だったという。

これ以降、出る作品、出る作品で〝襲われて〟きた。そして、ほとんどが最初は嫌がっていて、そのうち感じ始めるというものだった。

「細身で美形、声が甘くハスキーな彼女にハマったのです。それに、何といっても表情が絶品。バッチリ決まっている。絵になるスターですよ、彼女は。だから、あのクエンティン・タランティーノ監督も『キル・ビル』で使った」(風祭ファンのA氏)

熱狂的なファンの支持を得て〝クイーン〟と呼ばれるようになった風祭だが、実は凌辱シーンを演じ続けてきたのには理由がある。ロマンポルノの女性は、泣き寝入りしないのだ。それを乗り越えて成長し、時に男たちに意趣返しする。そこが救いであり、魅力だという。

その好例が80年の『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』(監督・小沼勝)だ。満たされない若妻が夫の目の前で、若者たちに集団暴行を受ける。でも、それで終わらない。

地獄絵図が展開された後に、今度はいきり立った夫が若者たちの目の前で妻を襲うのだ。こうして妻の欲求不満が解消され、ドラマは完結する。

―Part4に続く―

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