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芹明香VS谷ナオミ“至高の濡れ場”名場面!『日活ロマンポルノ』50周年~Prat2~

(画像)sakkmesterke / shutterstock

1971年(昭和46年)に日活ロマンポルノが誕生してから、今年でちょうど50周年。1988年(昭和63年)に製作が終了するまで、1000本以上の作品が生まれ、数多くの名女優がスクリーンを躍動した。レジェンドたちの輝かしい姿と豊潤な色香を誌上プレイバック!

ロマンポルノは幾多の女優を生み出したが、唯一無二の存在が芹明香(67)だ。

女の悲しくてやるせない性をエモーショナルに演じきって、常に深い余韻を与えてくれるのだ。

体は細くて肉感的とは言えないが、一度見たら忘れることができない存在感の持ち主。そのため、今でも根強い人気があり、俳優の間でも評価が高い。

「女優の橋本愛が閉館間際の東京『新橋ロマン劇場』に通い詰めて、日活ロマンポルノを見ていたのはよく知られている。ロマンポルノは基本、女優の映画だから、だいぶ勉強になったようだ。その中でも、芹明香には圧倒されたと自身のブログで明かしている」(芸能関係者)

そんな芹だが、その個性はすんなりと出来上がったわけではない。若い頃、職場を転々としたことによって生まれたものだ。

彼女は高校中退後、清掃員や家政婦、ホステス、ヌードモデル、ストリッパーなどをしながら、全国を渡り歩いてきた。そのときの経験が、血となり肉となって、女優業に生かされたのだ。

芹はこんなことを言っている。

「私ぐらいポルノに向いているのはいないと思う。過去にやってきたことをそのままやればいいんだもの。情事だって相手が望むものはどんなのだって、何回でも構わないわ」(村井実著『前ばり文化は健在なり』より)

もちろん、芹が輝くことができたのは、彼女のキャラを存分に引き出すことができる監督と出会ったことも大きい。その最たる例が、田中登監督の『(秘)色情めす市場』(74年)だ。役柄は大阪のドヤ街で、母親役の花柳幻舟と客を奪い合う売春婦。気性が激しい半面、知的障害の弟の前では、にこやかに笑って優しく接する。

弟が欲情の発散に苦しんでいるのを見ると、コンニャクを使って手伝ってやるほどだ。このとき、芹の顔は天使のようだった。

“緊縛”を広く知らしめた『花と蛇』

今やSMはアートとして、世界各国に多くの愛好者がいる。多くの国で「KIMBAKU(緊縛)」という言葉が通用するほどだ。

かつてSMをわが国で広く知らしめたのが、谷ナオミ(73)であり、彼女が主演した74年の『花と蛇』(監督・小沼勝)をはじめとする日活ロマンポルノ作品だ。

谷はピンク映画の出身で、『花と蛇』はロマンポルノでの第2作目。自ら団鬼六による同名小説の映画化を企画し、日活に持ち込んで実現させた。

SMにはピンク時代にも挑んでいたが、同作が初の本格的なものになる。それだけに力の入れようはハンパではなく、演技にも熱がこもっている。

役柄はSM趣味のある会社社長の夫に、自分の部下を使ってもてあそばれる貞淑な夫人役。ロープで縛られるだけでなく、あらゆる責めに遭いながらも耐え抜いていく。その肉体からほとばしる官能の緊張感たるや、凄まじいものがある。

「こちらの厳しい注文にも、泣き言ひとつ言わずに応じてくれた。とにかく彼女は頑張り屋さんだった」(小沼勝監督)

現場でスタッフが気を使っていたのは、彼女のセールスポイントである白肌の豊満なバストを、いかに形よく見せるかということ。緊縛師も念入りに縄を絞めていたそうだ。その甲斐あって作品は大ヒット。団鬼六&谷ナオミのコンビ作品は日活のドル箱になり、次から次へと量産された。

谷は〝SMの女王〟として名が高まり、団鬼六も彼女の憂いを含んだ貴婦人タイプのエロスが、「何ともいえない」と大満足だった。残念ながら谷の体力に限界がきて、79年の『団鬼六 縄と肌』(監督・西村昭五郎)が引退作となった。

―Part3に続く―

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