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ミュージシャン・井上陽水“楽曲さながらに美しい摸打”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

(画像)LightField Studios / Shutterstock.com

音楽シーンに井上陽水が登場してから、50年余りの歳月が流れた。

陽水は当初、家業の歯科医を継ぐつもりで、歯科大学を三度受験するが、狭き門を突破することができずに断念。好きな音楽で身を立てようと、オリジナル曲を携えて地元のラジオ局に乗り込んだ。

その後、ホリプロにスカウトされて上京し、1969年に当時のCBSソニーから「アンドレ・カンドレ」の芸名でデビュー。しかし全く売れず、70年にアンドレ・カンドレとしての活動は終わることになる。

雌伏の時を経て、72年に芸名を本名の井上陽水と改め再デビューすると、翌年に『夢の中へ』『心もよう』が連続ヒット。さらに、アルバム『氷の世界』が日本初のミリオンセラーを記録し、その後は現在に至るまで、音楽シーンの第一線で活躍を続けている。

陽水は70年代半ばに、有名人対局の常連となり、麻雀界からも注目され始めた。陽水は10代の頃から牌に親しんでおり、彼を麻雀界に引っ張り込んだのは、映画『青春の殺人者』や『太陽を盗んだ男』で知られる愛称〝ゴジ〟こと、映画監督の長谷川和彦であった。

2歳違いの2人は対照的な雀風で、動のゴジに静の陽水。対局中も多弁で打牌が強いゴジに比べて、陽水は必要な発声以外は口にせず、スマートな雀品ゆえに誰からも好かれていた。

ゴジが最初に陽水を連れて来たのが、月刊の専門誌『近代麻雀』の誌上対局であった。

「ハッタリのない、感じのいい麻雀を打つよ。基本がしっかりしているんだ」

兄貴分ゴジの目に狂いはなく、陽水の摸打は、まるで彼の楽曲のように洗練されていてよどみがない。ある種のポーカーフェースを保ちながら、相手方に手の内を読まれぬように、淡々と打つ。テンパイの気配を感じさせないあたりは、にぎやかなゴジとは雀風が180度異なる。

親指の腹に牌ダコを作らない配慮

「若いのに、あれだけキッチリ打てる人は珍しい」

陽水と手合わせした作家の畑正憲もうなっていた。

「ポン」「チー」「ロン」…。麻雀を打っているときの声は、マイクを通して耳にする透明感のある高音ではなく、相当に低い。耳ざわりのいい低音が静かに響く。

牌を持ってくる際は、左手をしっかり太ももに置き、太い右腕を伸ばす。安定した崩れのないフォームが特徴的だが、いわゆる摸牌をしない。親指を触れるか触れないか、微妙な感覚で牌を引いてくる。

これは親指の腹に牌ダコを作らないための配慮なのだと思う。左右の手指はギターを弾くとき、最良の状態におかれていなければならず、そのことを考慮して摸牌をしないのだろう。

高い手役でアガると、他の3人が聞きもしないのにアレコレしゃべる打ち手がいる。いかにして自分がこの手をモノにしたのか、自慢話を始めるのである。ひどい者になると、次の親がサイコロを握っても、まだ能書きをやめない。

しかし、陽水の麻雀は上品なうえに、決して無駄口を叩かない。彼はたとえ役満を和了しようとも、何も語らずに静かに手牌を崩す。

勝っても負けても感情を表に出すことなく、常に不動であることも麻雀の強さの1つであると、私は考えている。だから、こう断言してもいいと思う。

陽水の雀力は掛け値なしに、音楽界の〝巨人〟にふさわしい最高のクラスのものである、と。

ずいぶんと昔の話であるが、陽水と卓を囲んでいたとき、彼も私も、そこそこの手がつき、かなりの点棒を持ってオーラスを迎えていた。

その中で1人だけ一度もアガっていなかった北家のSが、ツモった一萬をバシッと卓に叩きつけ、「やった! トップ逆転」と言って手を開いた。

「音楽も麻雀も個性的でないものは意味がない」

確かに、一萬待ちの国士無双で8000点、1万6000点のアガりではあるが、ハコ寸前の男が果たしてトップ逆転とどうして分かるのか、そして、どうして声を上げて叫ぶのか。

その心理状態が理解し難いらしく、陽水が私に聞いてきた。

陽水「トップ逆転という言葉はどう思いますか? 僕も声を上げるかもしれませんが…」

灘「彼はアマチュアですからね、点棒の状況をまず分かっていない」

陽水「さりげなく『国士ツモですけど、これでトップになりましたか?』くらいですよね」

灘「なんでもいいから役満をツモれば、トップになると思い込んでいるのと、興奮状態にあるから、そう口走ったのでしょう。現に彼はトップではないからね」

陽水「麻雀は勝ち負けではなく、最終的には人格ですからね…」

灘「そう、大物手をアガって興奮しているようでは、心に隙が生じて、いい勝負ができなくなる。私は〝技に自在、心に余裕〟が勝負信条です」

そして、陽水は「音楽も麻雀も、個性的でないものは意味がない」と語っていた。いかにも天才らしい言葉に、大いに感心したことを覚えている。

(文中敬称略)

井上陽水(いのうえ・ようすい)
1948年8月30日生まれ。福岡県出身。大学を三度受験するが志を果たせず、69年にアンドレ・カンドレの名でデビュー。72年に井上陽水として再デビューし、以後は日本を代表するシンガー・ソングライターとして活躍する。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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