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六代目山口組・髙山清司若頭が“岡山進撃”! 最高幹部集結

(C)週刊実話Web 

対立抗争の〝激震地〟となった岡山県で、再び緊張が高まっている。

県内では山口組の分裂直後、当時は神戸山口組(井上邦雄組長)傘下だった池田組(池田孝志組長=岡山)の髙木昇若頭が射殺され、一昨年には前谷祐一郎若頭が銃撃される事件も発生。池田組が神戸側を脱退して以降も、六代目山口組(司忍組長)による神戸側への攻撃は続いた。三代目熊本組・横森啓一若頭(現・二代目若林組副組長)の拠点で発砲が起き、熊本組トップ・藤原健治組長の自宅でも発砲事件が起きた。その後、藤原組長は引退し、神戸側の岡山県内における直系組織は姿を消した。

しかし、警察当局は六代目側と独立組織となった池田組との対立を危惧しており、特定抗争指定で定められた警戒区域の岡山市が10月7日に解除されて以降も、警戒を続行。六代目側が描く〝岡山完全制圧〟の矛先は、池田組に絞られたとみているからだ。

実際、二代目大石組(井上茂樹組長=岡山)の本部では、解除直後の同15日に阪神・中四国ブロックの若頭らが一堂に会し、六代目側に復帰した五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)との懇親会を開催するなど、活発な動きを見せ始めた。

そんな中、11月3日に六代目山口組の〝指揮官〟である髙山清司若頭が、自ら岡山県内に攻め入ったのだ。

前日に現地入りした髙山若頭が待つ大石組本部には、早朝から最高幹部らが集結。青山千尋舎弟頭(二代目伊豆組組長=福岡)、森尾卯太男本部長(大同会会長=鳥取)、藤井英治若頭補佐(五代目國粹会会長=東京)、竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長=愛知)、安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長=兵庫姫路)、津田力若頭補佐(四代目倉本組組長=和歌山)、薄葉政嘉若頭補佐(十一代目平井一家総裁=愛知)、秋良東力若頭補佐(秋良連合会会長=大阪浪速)が続々と姿を現した。さらに、宮崎県で起きた池田組との対立事件で、組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)容疑で逮捕され、釈放された生野靖道若頭補佐(四代目石井一家総長=大分)の姿も確認。六代目山口組の最高幹部が顔を揃えたのだ。

今後の攻勢を暗示する岡山での集結

「この日は六代目側の執行部会が開かれた。解除後に大石組で行われるのは初めてやった。髙山若頭が移動してまでここでやったことには、池田組に対する圧力の意味があったと思うで。最高幹部だけやなく、佐藤光男幹部(落合金町連合会長=東京)、阪神・中四国ブロック所属の篠原重則幹部(二代目若林組組長=香川)や中山和廣・三代目矢嶋組組長(愛媛)、大石組トップの井上茂樹組長、山田一・三代目杉本組組長(岡山)も駆け付けとったからな」(ベテラン記者)

執行部会は午前11時ごろから始まった模様だが、終了したのは午後1時ごろだった。食事の席も設けられたようだが、集結したメンバーは組織運営を担う最高幹部らだったため、〝戦略会議〟の様相を呈した。

「話し合いの内容は漏れ聞こえてこんが、今回の岡山での集結自体が今後の攻勢を暗示しとる。神戸山口組を離脱して発足し、今も独立組織として活動を続けとる絆會(織田絆誠会長)への〝切り崩し指令〟が以前に出とることを思えば、池田組に対する戦略も言わずもがなやな…」(同)

それを示すかのように、当局による警戒態勢も厳重だった。地元の岡山県警は、大石組本部の周辺に計30人もの捜査員を配置。さらに、兵庫県警や大阪府警からも捜査員が駆け付けていた。

「警察にも六代目側が岡山に集まるいう情報が入っとって、池田組への威嚇行為を警戒したらしいで。せやから、多くの捜査員が来とったんやな」(同)

午後1時半すぎ、水色のジャケットを羽織った髙山若頭が外に姿を現し、車両に乗って引き揚げていった。その表情から胸中を読み取ることはできなかったが、対立が続く中にあって一段と不穏さが感じられた。

「実際、水面下で対池田組への戦略が練られているのは、間違いないだろう。六代目山口組内部では、『池田組の切り崩しは慎重に』という注意があったとも聞く。池田組長は絶縁されているため実質、六代目側には戻れないが、切り崩すにしても池田組の結束は固く難航するはずだ。力ずくで攻め込めば新たな火種が生まれかねず、危険な状況といえる」(業界ジャーナリスト)

神戸・井上組長の真意

一方の神戸山口組でも、さらなる結束強化が行われており、分裂戦は混迷の度合いを深めている。

「五代目山健組が脱退した際、神戸側に残留した直系組長たちがおって、神戸山口組内で『山健組』を名乗っとったんやが、全員が井上組長の預かりになったんや。井上組長は、勾留中の中田組長に対して処分を出しとらんから、心中では帰りを待つつもりでおって、直系組長たちの意志に任せようとしとったと思うで。けど、五代目山健組が六代目側に帰参したことで状況が変わってしまい、直系組長たちの立場を考慮して自身が直接、見守ろうと決意したんと違うか」(地元記者)

残留した直系組長らは、平成30年に五代目山健組体制が誕生した際、中田組長と盃を交わしていたが、神戸山口組に残留したとして絶縁などの処分を受けていた。そのため今回の結束強化は、井上組長の思いがあってのことといえる。

また、双方の思惑が錯綜する中、六代目山口組の中核組織である弘道会に訃報があった。髙山若頭の二代目体制で要職を歴任し、竹内会長の三代目体制でも尽力した弘道会・金田基一舎弟が11月3日、急逝したのだ(享年66)。

「〝東北のドン〟と呼ばれた佐藤儀一親分が引退する最後まで仕え、山口組に加入してからも、地元の秋田県を守り続けた。武闘派ではあったが、ダンディーでインテリな一面を持っていたよ。自身が興した金田組を二代目に譲ってからも、その存在感が変わることはなかったね。山口組が分裂した当初から、『大義のない者に勝ち目はない』と言い切っていたのが忘れられないよ」(地元関係者)

体調を崩して以降も、全快に向けて意欲を燃やしていたというが、容体が急変し、帰らぬ人となった。6日には弘道会の野内正博若頭をはじめ最高幹部らが焼香に訪れ、金田舎弟との別れを惜しんだという。

その悲しみの反面、弘道会は六代目山口組の〝主要部隊〟として、分裂終結の重要な役目を担うとみられる。結束を強める神戸山口組、独自の立場を構築する池田組への戦略が、注目されている。

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