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五代目山健組の本流「健竜会」が継承盃を挙行! 亡き先代に誓う“さらなる団結”

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五代目山健組・物部浩久若頭の岡山市にある三代目妹尾組本部には、陽が昇り始めた午前6時半ごろ、この日の主役である七代目健竜会・蜜岡伸貞会長が早々に入っていた。11月6日、山健組の本流である健竜会の「跡目継承盃儀式」が執り行われたのだ。

礼服に身を包んだ列席者が続々と到着し、本部裏手にある広大な駐車場には、全国各地のナンバーを付けた高級車がズラリと並んだ。上部団体にあたる五代目山健組からも、福富均舎弟頭をはじめ儀式に列席する最高幹部らが姿を見せた。本部玄関で紋付き袴の蜜岡会長が出迎える中、健竜会の重鎮である三島敬一最高顧問が到着。午前10時ごろから儀式の幕が開けた。

「今回の継承盃には、本流の組織という重みだけやなく、志半ばで逝った先代への誓いも含まれているはずや」(関西の組織関係者)

神戸山口組を脱退したのち、五代目山健組の若頭に就いたのは、六代目健竜会の西川良男会長だった。西川会長は山健組の体制強化を進め、一昨年12月から勾留が続く中田浩司組長の帰りを「直参一人も欠けることなく待つ」としていた。

しかし、新型コロナウイルスに感染した影響から、西川会長は今年6月に死去。混乱の中、新たに健竜会七代目を蜜岡会長が襲名した。その後、六代目山口組に帰参し、満を持して盃の日を迎えたのである。

渡辺芳則・五代目山口組組長が興した健竜会

当日は、まず跡目継承盃が執り行われ、特別後見人を中田組長、取持人を物部若頭、特別推薦人を福富舎弟頭と健竜会の三島最高顧問、推薦人を薮崎聡舎弟頭補佐が務めた。さらに、若頭補佐陣が検分役、「幹部」らが見届人に名を連ねた。山健組系組員の媒酌によって、名実共に蜜岡七代目が誕生したのだ。

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その後、蜜岡七代目との「盃直し」が執り行われ、舎弟盃を約10人、親子盃を約30人が受けたという。

「健竜会は渡辺芳則・五代目山口組組長が興した組織で、歴代の山健組トップを出した名門組織や。蜜岡七代目の肩には重責がのし掛かっとるはずやが、使命感が強い人物やと聞くから、亡き西川六代目の遺志を継いでいくと思うで」(前出・関西の組織関係者)

蜜岡会長は五代目山健組内でも期待される一人であり、直近では若中から「幹部」に昇格した。

「紆余曲折を経ての六代目山口組帰参だったが、ようやく混乱も収まり、五代目山健組は直参33人体制で落ち着いたようにみえる。それは逆に、神戸山口組と敵対関係になった今、分裂抗争にも影響を及ぼしかねない。六代目内での山健組の躍進は、警察当局にとっては危険視すべきものだろう」(山口組ウオッチャー)

盃を終え、列席者の見送りに出た蜜岡会長の表情は、終始、険しかった。さらなる闘志と、亡き西川会長への決意からなのか――。

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