先の衆院選挙でも元タレント候補の当落が話題になったが、後藤麻衣の東京都議選立候補(2009年)もお騒がせだった。週刊誌、スポーツ紙がこぞって「エロ過ぎる都議候補」と大フィーバー。結果は8人中6位で落選だった。その後藤が今、お琴・三味線の師範となり、お弟子さんを取れるまでになっているんだとか。10月に49歳になったばかりの、ますますエロ過ぎる現在を直撃!
――洋風なイメージの後藤さんが、お琴と三味線とは驚きました。何がきっかけで、やろうということに?
後藤 ほんと偶然なんですけど、29歳の時にお仕事がヒマになったんです。ずっと忙しかったからちょうどいいわ、何か始めようと思ったのが三味線でした。この先、一生独身だったとして、楽器ができたら寂しさも紛れるんじゃないかなと。
――ピアノやギターもあるのに?
後藤 簡単なのがいいと思ったんです。三味線は糸が3本じゃないですか。きっと簡単に違いないって。そしたら、めちゃくちゃ難しかったんですけど(笑)。
――そりゃそうでしょう。
後藤 おまけに、三味線をやる人はお琴もセットらしいんですね。免状を取る気があるなら絶対に必要と言われて始めました。でも、取り始めると楽しくなっちゃって、いろんな段階を踏んで昨年、生田流の師範を取りました。来年は大師範に挑戦しようと思っているんです。
――その上の階級もある?
後藤 いえ、大師範が最高位の資格です。
――なんと、レースクイーンでグラドルだった後藤麻衣が最高位ですか!? 趣味の域を超えてますね。お弟子さんも取る予定?
後藤 ゆくゆくはそうしたいなと考えています。
――テレビ番組やイベントなどで腕前を披露したことはあるんですか?
後藤 あります。片平なぎささんが主演するサスペンスドラマで、お琴のお師匠さん役で弾かせていただきました。セリフはなかったんですけど…。あとはイベント系が多いですね。假屋崎省吾さんのお花のイベントで共演したこともあります。
出馬は“黒歴史”じゃありません!
後藤は1992年のクラリオンガールで準グランプリを受賞(グランプリは大河内志保)。これがきっかけとなり芸能界デビューした。以降、女優、レースクイーン、グラビアアイドル等で活躍。DVD出演は40本以上、写真集は8冊出している。
――後藤さんと言えば、やはり「エロ過ぎる都議候補」で話題になった東京都議選が思い出されます。なぜ出馬する気に?
後藤 それまでさまざまな仕事をしてきて、「何か別のことをしてみたいな」という気持ちが漠然とあったんです。知り合いに県会議員さんがいて、「やってみないか」と誘われていたのもきっかけにはなったかな…。失礼なことなんですけど、最初は当選する気などサラサラなかったんです。でも、スポーツ新聞や雑誌の記者さんがずっと張り付いてくれて、東スポでは1面を飾ってくれたり。ありがたいなぁと思いました。商店街をまわっていても、ご夫婦が「応援してるよ」って握手をしてくれたりして感激でした。ああ、思い出すと涙が出てきちゃう。投票の前夜には歌舞伎町の選挙事務所近くに支援者の方が300人くらい集まってくれて、「もしかしたら私、当選しちゃうんじゃない?」と勘違いしましたね。
――では、黒歴史ではないんですね?
後藤 ぜ~んぜん。やってよかったなぁと、心から思っています。その翌々年にも杉並区議会議員選挙に立候補したのですが、こちらは大苦戦。72人中59位で落選でした。私の中では、やりきった感がありますね。
――そもそも、芸能界を目指したきっかけは?
後藤 クラリオンガールに応募したのですが、当時は演劇科に通うただの大学生でした。後で聞いたところ、書類審査で受かった素人は私1人だけだったみたいです。他はみんな事務所に所属するプロの方ばかり。
――スカウトとかはされなかった?
後藤 高校生の頃は毎日声をかけられて、名刺の山ができるくらいでしたよ。でも、両親が芸能界は絶対に反対で、芸能系の学校なら行っていいということで演劇科を選んだんです。
――では、どうしてオーディションに?
後藤 私が熱心だったからでしょうね。「自力で受けて受かるようならOK」と、折れてくれたんです。準グランプリでしたが、モデル事務所に声をかけていただき、入ることができました。
思い出すだけで赤面しちゃう…
――最初はモデル業だったわけですね。
後藤 はい。ものすごく厳しい事務所で、毎週ボディーサイズを測られるんです。足首、太股、ウエスト…それこそ全身でした。当時は今より10キロ以上もやせていましたね。
――それが現在のスタイル維持にも繋がっているわけですか。
後藤 若い頃には本当にいろんなことを試しましたから。お風呂にお塩やお酒、牛乳を入れたり、泥パックも。でも、逆効果だったような気もします。だから今は、ジムに通うくらいで特別なことは何もしてないんですよ。ナチュラルが一番かなって。
――写真集では、大胆ヌードをたっぷり拝ませていただきましたよ。
後藤 最初に脱いだのは26歳の時だったかな。実は当時、いろいろ行き詰まっていて芸能界を辞めようと思っていたんです。脱ぐのをきっかけに引退しようと考え、『BODY 2』という写真集で初ヌードになりました。ところがその後、お仕事がどんどん増えちゃって、着エロブームが来たこともあり、全裸からセミヌードに戻したんです。「奇跡の逆戻りパターン」と言われましたね。
――一番印象に残っている写真集はどれですか?
後藤 やっぱり、ドバイで撮影した『Dubai』かな。色んなところがものすごくバブリーで笑っちゃうくらいなんです。内容も過激で、思い出すだけで赤面しちゃうくらい。
――たとえば?
後藤 砂漠の中にホテルがあるんですけど、各部屋に屋外プールが付いてるんです。そこで開放感のあるヌードを撮れました。あと、夕日を見に行くツアーでは、ゴールドのビキニを着てラクダにまたがり颯爽と走ってます。
――(実際の写真集を見ながら)浴室の鏡の前で開脚しているシーンは、かなり過激でした。
後藤 7つ星ホテルのスイートで撮影したんです。いろんな意味でバブリーな時代でしたねぇ。
後藤麻衣◆ごとうまい 1972年10月16日生まれ。T162、B86・W54・H84。大西ライオンと共演するラジオ番組『後藤麻衣の心配ないさぁ~!!』(RFラジオ日本)は10年以上続く長寿番組。
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