『線路は続くよどこまでも』著者:山田千紘/廣済堂出版
『線路は続くよどこまでも』著者:山田千紘/廣済堂出版

『線路は続くよどこまでも』著者:山田千紘〜話題の1冊☆著者インタビュー

山田千紘(やまだ・ちひろ) 神奈川県出身。1991年9月22日生まれ。20歳の時、会社から帰宅途中に電車に轢かれ利き手と両脚を失う。医師から1年半はかかると言われた義足歩行のリハビリを驚異的なスピードの半年でクリア。退院3カ月後には車の免許取得。現在は一人暮らしをしながら、一般採用で航空関連会社に勤務している。
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――電車との接触事故で右腕と両足を失ったそうですね。どのような状況だったのですか?


山田 事故に遭ったのは僕が20歳のときでした。当時、大学を中退してケーブルTVの営業職として働き始めていたのですが、ある日、先輩の付き合いで飲み会に参加しました。当日は朝から体調不良だったため、ビールを1本ほど飲んで、帰路に就きました。


しかし、日頃の疲れと寝不足から電車内で爆睡。気がついたら終着駅でした。そのときのことはよく覚えていないのですが、どうやら僕は、最終電車に乗り込もうとしてホームから転落。そこに最終電車が入ってきたそうです。


目が覚めたときはベッドの上で、手足3本が無くなっていました。


――入院中は多くの看護師に支えられたそうですね。


山田 もともと周囲に気を使う性格で、なるべくナースコールを押さないようにしていたのですが、そんな僕を看護師さんたちは、温かく外から見守ってくれたんです。事故直後は自死も考えましたが、まるで自分の友達のように接してくれて、本当にありがたかったですね。


入院中に日記を書いていたのですが、お世話になった看護師さん24人全員に手書きで感謝の言葉をつづったメッセージを書き、退院時に置いていきました。

“モチベーショナルスピーカー”になりたい

――これほどの重症を負いながら、障害年金をもらえなかったそうですね?

山田 僕は現在、障がい者1種1級と一番上の等級なのですが、国の障害年金はもらっていません。事故に遭った当時僕は、20歳10カ月で、大学を中退して働き始めたばかりでした。会社も試用期間だったので、国民年金も厚生年金も支払っていなかったんです。


また、事故に遭ったのが乗り過ごした駅だったため、勤務経路の外で、〝労災保険〟も下りませんでした。さらに重度の障がい者に支給される〝重度特別障害者手当〟は片手の機能が残り、体感が損傷していないため対象外になってしまったのです。制度の〝隙間〟にすっぽりと落ちてしまったのです。


――現在、ユーチューバーとしても活躍していますね。将来の目標は?


山田 僕と同じように手足の無い子供たちが、たくさんフォロワーになってくれています。動画を通して障がいを持った人に勇気や希望を発信していきたいですね。将来は〝モチベーショナルスピーカー〟になりたいと思っています。聞き慣れない職業ですが、どうやって人生を進めばいいのか、人に話す仕事です。5年以内に夢を叶えたいですね。


(聞き手/程原ケン)