バンテリンドーム ナゴヤ (C)週刊実話Web
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中日・立浪監督と西武・松井ヘッドの下に集結する「PL学園」OBたち

「立浪ドラゴンズ」が正式に発足し、PL野球がよみがえると話題になっている。


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さらに、来季の一軍ヘッド昇格が内定している松井稼頭央コーチも、PL魂を西武ライオンズで具現化するという。来季、「PL旋風」が吹き荒れる!!


「立浪和義氏の中日監督就任が決まり、同世代のPL学園OBたちは『やっと俺たちの番がきた』と安堵していました。90年代のPLメンバーたちも松井ヘッドが〝監督就任〟の準備を始めたことで動き出しました」(ベテラン記者)


立浪監督は現役時代から「いずれ監督になる」と見られていた。だが思わぬ遠回りをしてしまい、その間に何度か他球団のコーチ就任の打診も受けていた。これまで辞退してきた返事が、40代後半になり、「考えさせてください」に変わったが中日愛を貫いた。


その苦悩を知る同世代のOBたちも「その日が来たら、力になってやりたい」と思うようになったのだ。


「立浪監督の賢いところは、コーチを仲良し内閣にしなかったこと。片岡篤史氏に二軍を任せ、ほかのPLメンバーには臨時コーチなどをお願いするつもり」(同)

PL学園の野球部復活は難しそうで…

元ヤクルトの宮本慎也、元横浜の野村弘樹らのPLメンバーとも話し合ったが、彼らは古巣球団との関係が強く、臨時コーチとなるようだ。また、1975年生まれの松井ヘッドの下には、前ソフトバンク打撃コーチの平石洋介が駆けつけた。

「平石コーチが楽天二軍監督だった頃、松井ヘッドが現役選手として二軍にいました。松井ヘッドは5学年先輩、やりにくいですよね。でも、敬語で接し、それに感激した平石コーチが『恩返し』で移籍を決めました」(球界関係者)


平石コーチは98年夏の甲子園大会で、PLナインとして横浜高の松坂大輔と死闘を繰り広げている。今回の平石コーチの移籍により、引退した松坂もグラウンドに顔を出しやすくなった。そのため、松井ヘッドが帝王学を習得した後、横浜高卒のプロ野球OBも追随するという。


「肝心のPL学園ですが、野球部復活はかなり難しそう。その分、立浪監督、松井ヘッドの下で奮闘しようとしています」(同)


PL野球部に特別な練習法はない。各自が夕食後の自由練習をどう有効に使うか、それを競っていた。


プロ野球界の若手は、コーチの指示待ちになりがちだ。選手を大人にさせる。そんなPL革命が始まろうとしている。