森光子さん (C)週刊実話Web
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女優・森光子“モットーは明るく楽しく小気味よく”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

「アラカン」こと嵐寛寿郎を従兄に持つ森光子は、母親が結核で亡くなったのを機に芸能の道に進むことを決意。


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1935年、14歳にして映画デビューを果たして以来、92歳で逝去する寸前まで芸能活動を続けた。


戦前は時代劇の娘役として重宝がられたが、映画女優に見切りをつけ、歌手を目指して41年に上京。戦中は東海林太郎ら大スターの前座歌手として日本軍慰問団に参加し、満州や東南アジアの島々を巡った。


しかし、このときの無理がたたって肺結核で倒れ、3年間の闘病生活を送ることになる。


52年に復帰した森は、ラジオ、舞台だけでなく、草創期のテレビにも実験放送から出演。当時の活躍の場は大阪で、横山エンタツ、中田ダイマル・ラケット、ミヤコ蝶々ら関西喜劇人にもまれながら、着々と女優としての実力を身につけ、活躍の場を広げていった。


58年に梅田コマ劇場で漫才芝居に出演していた森は、人気劇作家で東宝演劇部の総帥だった菊田一夫に見いだされ、再び上京。61年に芸術座出演4作目となる舞台『放浪記』で、主役の林芙美子役に抜擢されて脚光を浴びた。


『放浪記』は主人公のイメージを森に当てはめ、菊田が書き下ろした会心の作品で、以降、生涯2017回の上演数を誇る最大の当たり役となった。


このように長い芸歴を誇る森だが、幼い時分に覚えた麻雀のキャリアも群を抜いていた。


東京公演のときには舞台の合間を縫って、有楽町にある高級麻雀店の特別室に、紳士然とした人たちと打ちに来ていた。


森は女優業以外にも、ワイドショーから『NHK紅白歌合戦』の司会までこなし、日本のお母さん的存在として根強い人気を誇っていた。

人気ドラマ『時間ですよ』の共演者ともポンチ―

私生活においても気さくな性格のため、誰からも広く好かれる。大好きな麻雀を打つときでも、メンツ集めに事欠かない。

銭湯を舞台にした人気ドラマ『時間ですよ』(TBS系)に出演していた頃は、共演者の由利徹や左とん平、堺正章らと卓を囲むことが多かった。


由利やとん平も大の博打好きだから、スケジュールさえ合えば、ポン、チーが始まる。箱根など近場の温泉に1泊で麻雀旅行をするくらいの間柄で、ある日、森、泉ピン子、由利、とん平の4人組で出かけた。


箱根の夜、リラックスした浴衣姿で卓を囲む。危険牌を切るとき、森は猫なで声で、


「由利サマ、お願い、この牌通して」


と、おがみ倒すように、そっと牌を捨てる。


「しょうがねえなぁ、かわいい光ちゃんの頼みなら通してやるよ」


「本当に? じゃあ、リーチ!」


俄然、森は勢いづく。


「今度は俺からのお願い。これ通してくれよ」


由利が恐る恐る危険牌を切る。


「ドーン。大当たりでした。しかも、高目ですよォ」


はしゃぐ森。指で点数を数えるピン子が言う。


「裏ドラが6枚ものったから、両手で数えるだけじゃ足りないよ」


すると、とん平が提案。


「なんなら俺の足、貸そうか?」


「あんたの汚い足なんて、借りなくても結構」


森に言われて、とん平はうなだれる。かくして箱根の夜は、女性2人にカモられっぱなしの由利&とん平であった。

“業者”とは麻雀を打たない

今から40年ほど前、私の麻雀仲間でもある劇作家の大西信行が、「森光子に嫌われてしまったよ」と嘆いており、次のような話を聞かされたことがある。

「ねぇ、麻雀しましょう」


森にそう言われた大西は、ドラマ『おしろい花』(日本テレビ系)という番組の打ち上げパーティーの後、嬉々として森と卓を囲んだ。


「あらあらあら、それ、当たり! うわ、裏ドラのって満貫いただき!」


終始、にぎやかな麻雀だった。森の麻雀は、牌さばきもキビキビと小気味よく、迷ったり考え込んだり、じれったさなど微塵もない。はつらつとした彼女の芝居そのままに、明るく楽しい時間を過ごした。


「またやろうね」


「ええ、きっと…」


若い恋人たちのように、またの逢瀬を約束して別れたが…お互いに忙しく、卓を囲む折がなく月日だけが流れた。


それから1年後、森繁久彌の紫綬褒章受章を祝う集まりで、大西は森と顔を合わせた。


「久しぶりに麻雀をやりましょうか」


と、大西が森に声をかけると、即座に断られた。


「もう先生とは麻雀やらないわ」


えっと驚いた大西を見据えると、森は大きく光る目でキュッと睨んで、


「だって〝業者〟だって書いてあったもん…」


と一言。


なぜ、森の誤解を招いたのか。それは、週刊誌主催の対局に呼ばれた大西が、運よく勝ちを収めた際、観戦記に阿佐田哲也が、大西のことを〝麻雀業者〟と書いたからであった。それを彼女も読んだのである。


「阿佐田めッ、余計なことを書きやがって! 人の商売の邪魔、いや、それじゃあ本当の業者になっちゃう。人の恋路の邪魔をして覚えていろ!」


せっかくの機会を逃した大西の嘆くこと…。


(文中敬称略)
森光子(もり・みつこ) 1920(大正9)年5月9日生まれ~2012(平成24)年11月10日没。京都市出身。14歳で映画デビュー。歌手、喜劇女優として活躍した後、60年代以降は舞台やテレビドラマで確固たる地位を築く。09年に国民栄誉賞を受賞。
灘麻太郎(なだ・あさたろう) 北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。