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六代目山口組“渦中の帰参幹部”が激白! 神戸山口組の極秘内情

(C)週刊実話Web

四代目倉本組(和歌山)の本部に足を踏み入れると、そこは活気に溢れていた。多くの組員が詰める中で、電話の音が鳴り響き、事務室には絶え間なく出入りがあり、対応の打ち合わせが続けられる。しかし、その熱気に圧倒されながら2階に上がった途端、空気が一変した。幅1メートルはある六代目山口組・司忍組長と髙山清司若頭の写真が飾られた会議室には、革張りのソファに座った最高幹部らが待ち構え、重苦しい雰囲気を漂わせていた。

倉本組の主である六代目山口組・津田力若頭補佐、秋良東力若頭補佐(秋良連合会会長=大阪浪速)、山下昇幹部(極粋会会長=東大阪)、さらに渦中の〝帰参者〟4名。神戸山口組(井上邦雄組長)の二代目宅見組(入江禎組長=大阪中央)で執行部を務め、現在は六代目山口組傘下に所属するA幹部とB幹部、同じく六代目傘下に入った五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)の現役執行部であるC幹部とD幹部だ。誰もが、ソファの背に身体を預けることなく膝の上で手を組み、前のめりの姿勢だった。これから明かされる内容の重要性を物語っているかのようで、名刺を差し出す記者の手も小刻みに震えた。

山口組の分裂を内部から見つめ続けた4名に、尋ねたいことは山ほどあった。〝トップの意向〟に翻弄されながらも決定を受け入れ、自身の親分の背中を追った胸中、他組織との軋轢、そして帰参を選んだ理由。その肉声は分裂抗争の今後を見定める上で、重要な意味を持つのは明らかだった。彼らが語った実態は、暴露というよりも終結を願うからこその主張に思えたのだ。

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山口組の創立百年を迎えた平成27年1月25日、六代目山口組は全直系組長参集のもと、親戚・友好団体トップを招いて盛大な祝宴を開いた。司会進行は当時、若頭補佐だった井上組長であり、舎弟頭だった入江組長も宴席でカラオケを歌うなど、式典によってさらに結束を深めたかに見えた。

しかし8月27日、警察当局も大混乱に陥る山口組の分裂劇が起きたのである。

A幹部「3週間ほど前に、当時の若頭から聞いたのが初めてです。山口組と一和会が分裂したときのような、大変なことになってしまうんだなと。ただ、歴史が証明するように、長くは続かないだろうと思いました」

B幹部「自分はまったく何も知らず、当日に知りました。A幹部と一緒で、大変なことが起こるんだなと。正直、馬鹿なことはやめてほしいと思いました」

C幹部「当時は勾留中で、保釈で出てきた際にその場で聞いて、えらいことになったなと。山一抗争に例える人も多いが、これはまったく違う。山一は盃を受ける前であって、盃を受けてからの離脱は謀反でしかないと感じました」

D幹部「8月25日あたりに、よその人から『そんな噂(離脱すること)を聞いたが本当ですか?』など電話が入り、そのときは、そんな馬鹿なことはないやろ、と信じていませんでした。ですが、その後に集合が掛かり、(山健組の)総会の場で発表がありました」

「帰ってこられる場所」をとの思い

井上組長本人が「山口組から抜ける」と決意表明し、D幹部は当時の親分の言う通りに付いていくしかない、と感じたという。宅見組でも分裂当日に総会が開かれたが、発表する側だったA幹部の心境は複雑だった。

A幹部「当時の親分の入江から『このままではやっていけへんから、若い衆のために山口組を出る決断をした』と。もう一つ、『お前らにも家族があるやろ。一日考えて出るもんは出てくれていい』とも言われましたが、自分からはとてもじゃないが皆に掛ける言葉が見つかりませんでした」

翌日、すぐに宅見組から抜ける直参はいなかったという。しかし、六代目山口組からの離脱は、彼らに荒波となって否応なく押し寄せていった。

A幹部「離れていく人と、くっついてくる人が変わっていきました。離脱当初は、勢いを感じて接近してきた人も一部いましたが、六代目山口組と関係があって仲良くしてもらっていた人の中でも、『私たちは、もうそちら(神戸山口組)とはお付き合いできません』と言ってくる人のほうが圧倒的に多かった」

B幹部「今まで一緒に仕事をしていた人たちを含め、周りから付き合いを断られましたね。他組織との交流も一切できなくなりました。特に稲川会(内堀和也会長=東京)からは、ハッキリと言われました」

C幹部「私の場合は、幸い離れる人はあまり多くなかったですが、緊張の毎日で気の休まることはなかった。事が起きたら仕方ないが、自分らが引き金にはならないようにと思っていました」

D幹部「人付き合いにも気を使わなければならず、シノギを含め非常にやりづらくなりました」

分裂劇が混迷の度合いを深める中、A幹部は昨年8月、B幹部は今年1月、それぞれ宅見組を離れて六代目山口組傘下に戻った。それを決意した理由について、2人はこう話す。

A幹部「六代目側から『もう勝負はハッキリついているのだし、早くこの喧嘩を終わらせるために力を貸してくれ』と説得されたことが、きっかけでした。ただ、自分でもとっくに潮時を感じていました」

B幹部「真剣にヤクザをやっていくには本筋に戻るしかない、こんな間違った有り方ではやっていけないという思いで決断しました」

2人の個人的な理由ではなく、そこには服役中の組員たちが安心して「帰ってこられる場所」を、作っておきたいという思いもあった。〝平和共存路線〟が確立された中での分裂劇は誰も望んでおらず、社会復帰した組員らが再び苦しむことは避けたかったという。

“売却問題”が帰参するきっかけの一つ

一方の山健組は今年9月、「幹部」として、中田組長が六代目山口組に復帰した。

C幹部「中田親分より、六代目山口組へ戻るというニュアンスの手紙を受け取り、何度かのやりとりを経て意志を確かめました。山健組がバラバラにならず、一人も欠けることのないようにとの思いを受けて、中田親分の決断を私が代わりに(六代目山口組)本家執行部の方に伝えました」

その答えを補足するかのように、同席する秋良若頭補佐が「若い衆のことを思ってやったんちゃうか」と、中田組長の決断について口を開く場面もあった。

そして、インタビューは〝過去〟のことから、〝現在進行形の問題〟について移り変わった。これこそが彼らの本題であり、今回、声を上げた動機と思われた。

元宅見組執行部の2人が懸念するのは、昨年『週刊SPA!』が報じた宅見組本部の売却に関する問題だ。

A幹部「去年の8月ぐらいに、当時の親分の入江から直接電話で聞きました。『売る』というより事務所を『閉める』と。そのときに残念だったのが、たまたま私が1時間ほど電話を取ることができず、複数の着信が入ってまして、中には六代目山口組の人もいて、同じ内容のことを言われたのです。こんな大切な話を、短時間でよそからも聞くとは、どうなっているんだと思いましたね。せめて、事前に執行部に相談をするぐらいは当たり前だと」

特定抗争指定により使用禁止となっていた宅見組本部には昨年12月、暴追センターが使用禁止の仮処分申請を行い、今年2月に決定した。そのため、指定解除後も使用できるかは、不透明なのだ。

A幹部「おそらく、仮処分申請の前にそういう噂が立ち、九州の組織などの前例を見て、無理に追い出された上に二束三文で叩き売られるぐらいなら、いいときにいい条件で売れれば、と思って(入江組長は)行動を起こしたのではないでしょうか。『こうするで』と言われたら『はい』としか言えないような、ごく少数の者に伝えただけで、ほぼ独断で進めていました」

この〝売却問題〟は、六代目山口組へ帰参するきっかけの一つだったとも話す。

A幹部「初代の宅見勝親分が建てられ、引き継がれてきた我々の大切な城であり、血と汗の結晶、命にも代えがたいものです。それを主立った者たちへの相談もなく、三役といった一部の者と売り飛ばすことに夢中になり、今となっては『宅見』の名を残すことなど頭にないようで…。気持ちが離れた大きなきっかけでした」

驚くことに、こうした施設の売却問題は山健組本部そばの通称「山健会館」にも浮上しているという。執行部のC幹部は、怒りを露わに水面下の現状に触れた。

C幹部「もともと会館売却の目的は、長期や無期を務めている者たちのためという話が過去にあって、全員一致の意見です。それを実行するよう、向こうサイド(井上組長側)に突き付けているのが現状。売ろうとしているのも現実に話が進んでいます」

分裂は「間違い」であり「早く終わらせるべき」

秋良若頭補佐も会館購入の際、「(井上組長は)一銭も出していない。山健組の若い衆みんなで出した金や」と憤りを隠さなかった。C幹部は「売却の際にその金さえも大きく抜こうとする」ことを懸念しており、「そんな真似」は許せないとの思いだと言葉を続けた。

C幹部「山健組に関する建物や資産に個人の物など何一つないにもかかわらず、私物化しようともしている。山健組歴代の親分や先人たちが築き上げてきたものであって、許されることではありません」

現状、双方とも売却されていないが、六代目山口組自体が売却の動きを危惧していることがうかがえた。

また、新たな出発を果たした4名は、元親分に対する思いをこう語った。

A幹部「本音で言えば、6年間もやってきたのだから、もういいんじゃないですかと。出ていった自分が言うのもおこがましいですが、元親分の入江自身が振り上げた拳を、宅見組に残っている周りの人間が上手に下ろしてあげることができればいいと思います。20年以上付いてきて、悪いところもあるけど、格好いいところもたくさんありましたから。潔く終わってもらえたら、自分の心の中ではずっと格好いいままの親分です」

B幹部「若い衆のことを思って出たと言うのであれば、綺麗事ではなく本当に若い衆のために、今もう一度考えるべきだと思います」

C幹部「これ以上、犠牲者を出すことなく、早く正しい決断をするべきだと言いたいです。(井上組長)本人もタイミングを探っているのかもしれないが、時期を見極め、若い衆を苦しめるのはやめにしてほしい」

D幹部「自分からは何もないです。いろいろな思いはありますが、それを言葉にすることはないです」

神戸山口組に残る元同志らに向けて、C幹部は「五代目山健組としては門戸を開いている」とも話した。

長時間に及ぶインタビューの中で、4名の幹部に共通した主張は、分裂は「間違い」であり、「早く終わらせるべき」というものだった。何より、受け継がれてきた組織の資産に関して、元親分たちの〝疑惑〟を訴える場面では、慎重に言葉を選びながらも時に怒りを滲ませて心境を明かした。
そこには、山口組の分裂によって翻弄された当事者のみが知る内情があった。今回のインタビューはあくまでも一方の主張であり、神戸山口組は黙して語らずの姿勢を貫いているため、不透明な部分も存在する。しかし、声を上げた4名が、「若い衆のために」という明確な方針を掲げていることだけは、強く感じられた。

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