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本当に上手な芸は簡単そうに見えるもの〜島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

少し前、たけしが弟子志望の男に襲撃されて、その後、さんまがラジオで過激なファンの話をしていたね。

俺は危険な目に遭ったことがないけど、いろんな弟子がいましたよ。これまで200人くらいの弟子志望者と面談して、合計30人くらいの弟子を取りました。

知人を通じて「弟子になりたい」と言ってきたある志願者に会ってみると、突然、敬礼しましてね。何でも自衛隊を辞めて弟子入りしたいということでした。

「敬礼なんてしなくてエエねん、お笑いの世界は。自衛隊なら一生食べていけるし、国を守る立派な仕事やから、お笑いなんてやめたほうがエエで」

そう諭したんです。でも、彼は「洋七さんの漫才を見てお笑いに憧れました。弟子にしてください。自衛隊は除隊したので戻るのは難しいと思います」と必死。仕方がないから「履歴書と親の承諾書を持って来たらもう一度面談をする」と仕切り直したんです。

後日、履歴書と親の承諾書を持って来て面談をしたら驚いたね。大学卒業して自衛隊に入隊しているんですよ。自衛隊では大型トラック免許に大型特殊免許など色々な資格も取得している。この学歴と資格があれば、食べるのに困らないだろうし、「弟子はお金にならないから芸人以外の仕事のほうがエエんちゃうか」と再考を促したほどです。

すると、彼は「それでも大丈夫です」と敬礼をしたんですよ。「敬礼はエエねん(笑)」とツッコむと、一緒にいたマネジャーや弟子たちはウケてたね。結局、彼の熱意にほだされて、取りあえず1カ月間、弟子にしたんです。すると2カ月すぎても残っているから「弟子の中で誰かとコンビを組んだら」と指示して、コンビを組ませたんです。

初舞台で一度も笑いが起きず…

弟子入りから4カ月くらい経った頃、新宿で高田文夫とライブをやることになった。俺は出ずっぱりで、洋八や紳助竜介の竜介、間寛平など次々と相方が代わっていくライブです。前座として、その弟子のコンビを出してみたんです。彼にとっての初舞台。そうしたら7分舞台に上がって、一度も笑いが起きない。ウケもかすりもしなかったんです。相当ショックだったんでしょうね。舞台を降りると「はあ」とタメ息をついていましたよ。

ライブ後、焼肉屋で打ち上げをしました。打ち上げが終わり、店を出ると、自衛隊出身の彼が泣きながら敬礼し「辞めさせていただきます」と急に言い出した。「どないしたん?」と聞くと、「あんなにウケないとは思っていなかったです。芸をナメてました」と言うじゃないですか。

俺は「早く気がついてよかったな。こんなところで5年も10年もおって辞めたら、その時間がもったいないわ。自衛隊に戻れるなら戻って、国を守れ」と快諾すると「分かりました!」と去っていきました。

俺らの漫才を見て簡単そうに見えたんでしょうね。俺も初めて『なんばグランド花月』で、やすきよさん、笑福亭仁鶴さんがドカンドカンと会場を沸かすのを見て、簡単そうに見えたから漫才師になったんです。本当に上手な芸は簡単そうに見えるものなんですよ。初めて見た舞台で芸人さんがウケていなかったら、漫才師になってはいませんから。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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