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ヴァイオリニスト・佐藤陽子“雀豪を血祭りにする攻め”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

佐藤陽子
佐藤陽子 (C)週刊実話Web

1966年6月、世界中の若きヴァイオリニストが一堂に会した『チャイコフスキー国際コンクール』で、見事に3位入賞を果たした〝天才少女〟佐藤陽子の名前は、瞬く間に国の内外に知れ渡った。

同年9月に旧ソビエト連邦のモスクワ国立音楽院に入学した後も、さまざまな国際コンクールで活躍し、1971年に同学院を首席で卒業。今でこそ日本のヴァイオリニストの世界進出や、コンクールにおける上位入選が珍しくなくなったが、その先鞭をつけたのは間違いなく彼女であった。

佐藤の豊かな音楽的素養は、楽器の演奏者にとどまらず、声楽部門にも進出していく。ギリシャが生んだ名オペラ歌手、マリア・カラスに直接指導を受け、ソプラノ歌手としてジュゼッペ・ディ・ステファーノらと共演。1975年10月、ルーマニアのブカレスト国立歌劇場において『蝶々夫人』でデビューするや、各方面から絶賛を浴びた。

1976年に帰国すると、アーティストとしての演奏活動のかたわら、エッセイの執筆やミュージカル歌手としてタレント活動も始める。

私生活ではパリで知り合った外務官僚と、大恋愛の末に24歳で結婚するも、版画家の池田満寿夫とローマで運命的な出会いを果たし、1979年に離婚。37歳の折に池田と未入籍ながら結婚宣言をして話題を呼んだ。

さて、私と佐藤とは長年の麻雀友達でもある。2007年に亡くなった作曲家の桑原研郎もそんな1人で、かつて静岡県熱海市にある佐藤と池田のギャラリーを訪れた際も、「メンバーを呼んであるのよ」ということで卓を囲むことになった。

女性と麻雀を打つのが苦手という男性は多い。実のところ私も例に漏れないのだが、その理由は女性特有の気質にある。

裏ドラが乗らなくて儲けものとニッコリ

1つは、彼女たちの徹底した攻め麻雀の迫力に屈してしまうケース。ここぞと思ったら一直線に、攻めて攻めて攻めまくる。ドラであろうが、危険牌であろうが、お構いなしに切り捨てる。このあたりは一部の女性ドライバーの運転ぶりと、共通するかもしれない。

もう1つの理由は、自分の都合だけで突き進む打法なので、他家の動向や捨て牌に無頓着なこと。こちらがせっかく捨て牌に腐心しながら、渾身のテンパイ形を作り上げても、女性陣には通用しないのである。

佐藤は、そんな女性雀士の典型である。彼女の場合は腕も確かだが、とにかく攻めが異様に強いため、麻雀大会でしばしば男性雀豪が血祭りに上げられる。

では、実戦で佐藤はどんな麻雀を打つのか。この日、打った実戦譜を追ってみる。

東4局、まず西家の桑原が10巡目、三、六索待ちのタンピン手でテンパイ即リーチと出る。もちろん一発と裏ドラ狙いだ。この局、ドラは一萬で、南家、佐藤の配牌はそれほど悪くもないが、良いともいえない、まずまずのものだった。

佐藤には配牌からドラの一萬が1枚。ドラにこだわる打ち手の場合は、〝ドラは手の内で使え〟をセオリーだと思い込み、最後まで持ち続けることになるが、佐藤はタンピン手にまとまりかけた5巡目に、バシッと打ち出している。端牌のドラ1枚より手役を優先するあたり、かなり打てることを実証している。

その後、佐藤は三、四、五の三色手にまとまった14巡目に、三、六筒待ちで執念の追っかけリーチ。しかし、17巡目に三索をツモ切りした佐藤は、「アラッ、出ましたね…」と言って放銃。裏ドラは九萬で乗らなかった。

こうしたリーチ合戦で負けたとき、プロでさえ流れが悪いといってガックリくる打ち手がいるのだが、佐藤はさにあらず、裏ドラが乗らなくて儲けものとばかりに、ニッコリ笑って3900点を支払っている。

本物の音色は心に安らぎを与えてくれる

迎えた南1局、親で配牌を持ってきた佐藤は、

「ちょっと待ってください。えーと、ダブリーです!」

と言って九萬を切り出し、颯爽と横に曲げる。手の内もピンフ、イーペーコーと整っている。

「親のダブリーには逆らえませんからねぇ」

と、桑原はトイツで持っている西から切り出す。他家も数牌は何を出しても怖いとばかりに、字牌からの切り出し。

しかし、こんな状況にもかかわらず、佐藤が3巡目に四索をバシッと自分の河に叩きつけた。裏ドラをめくると雀頭の九筒が乗って親ッパネ。

「ダブリーでそんな手があるんですね…」

と嘆く桑原。麻雀でもこうした強運を持ち合わせているから、佐藤はトップランクのヴァイオリニストとして活躍できるのだ。

ちなみに、私は1985年ごろから年に一度、石川県にある加賀屋ホテルが主催する『加賀屋社長杯争奪麻雀大会』にゲストとして呼ばれている。

参加者は約200人。競技が終わると、別間に移動して酒食を楽しみ、ゲスト歌手やタレントが大いに場を盛り上げ、表彰式を行うという図式だ。

1998年の大会では『京都の夜』の大ヒットを持つ愛田健二が2曲歌い、その後、佐藤が豪勢にもヴァイオリンの生演奏を披露してくれた。さすがに勝負の後のクラシックは心がなごむ。

演歌であれ、クラシックであれ、本物の音色は心に安らぎを与えてくれることを知らされ、今なお忘れ得ぬ夜であった。

(文中敬称略)

佐藤陽子(さとう・ようこ)
1949年10月14日生まれ。福島県福島市出身。3歳でヴァイオリンを始め、9歳のときに旧ソ連文化省の給費留学生としてモスクワに留学。75年には声楽家デビューも果たす。帰国後はエッセイスト、マルチタレントとしても活躍。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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