(画像) Paper Cat / shutterstock
(画像) Paper Cat / shutterstock

作家・五味康祐“戦術書もベストセラーの雀豪”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

1952(昭和27)年に短編小説『喪神』で芥川賞を受賞した五味康祐が、剣豪作家として注目を集める契機になったのは『週刊新潮』の創刊であった。


【関連】司会者・玉置宏“大スターと対峙して磨いた洞察力”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』 ほか

56年2月に創刊した『週刊新潮』は、連載小説の目玉として、五味康祐の『柳生武芸帳』と柴田錬三郎の『眠狂四郎無頼控』の2作を同時に連載。これが爆発的な人気を呼んだ。


また、五味は雀豪作家の開祖として、64年に『暗い金曜日の麻雀』を発表。文中に初めて「牌活字」を使用したことで、同作をもって本格的な麻雀小説が誕生したとされる。


阿佐田哲也を麻雀小説のパイオニアと思い込んでいる人たちが少なくないが、彼が《雀風子》の筆名で麻雀コラムを書き始めたのは66年からであり、『麻雀放浪記』の連載は69年からなので、五味の小説よりも後のことになる。


阿佐田自身も語っているように『麻雀放浪記』が誕生したのは、五味という偉大な先達が存在していたからであった。


『暗い金曜日の麻雀』は、阿佐田以降に数多く出回った「雀ゴロ」の世界を扱ったものではない。特異な青春群像の一風景を描いた作品で、この短編と双璧をなす『雨の日の二筒』には、こんな描写が出てくる。
《対門に坐った女は、何と、手で自摸しようとしない。岡田の前に並べられた壁牌を、卓上に肢を延ばして、足指で挟もうとする。膝上十センチのスカートから、靴下をはかぬ素脚が大胆にも延びてきて、小股をひらき気味に、足の拇指と第二指で牌をはさむのだ。真珠色のマニキュアーの美しい脚だった》
主人公・岡田の正面に坐っている女性は、彼の牌山から自摸るときだけ足指を使う。しかもノーパンティーというから、明らかに彼女は岡田を挑発しているのである。麻雀小説にエロティシズムを取り込む発想は五味の独壇場であり、さすがの阿佐田でも、この領域では太刀打ちできない。

目からうろこの画期的な指南書

麻雀小説の奇想で世間を驚かせた五味は66年、今度は戦術書『五味マージャン教室』(光文社/カッパ・ブックス)を刊行。これがベストセラーとなる。

《運3技7の極意》という目を引くサブタイトルがついた同書は、巻頭に《マージャンだけは碁や将棋とちがい、ツキがあれば下手でも勝てる――と思うのが下手の証拠である》と書かれている。


麻雀は「運7技3」と言われる世評に対して、五味はそれを真っ向から否定。当時の麻雀ファンにとっては、目からうろこの画期的な指南書であった。


同書の目次から興味深い項目を抜き出してみる。


〇直感はあやまらない。あやまるのは判断である


〇待ちの悪いときは堂々とリーチせよ


〇虫の好かない奴とは打つな


〇最高のテンパイは、単騎待ち


〇自摸とは、そのたびごとに危険牌をつかむことである


五味は76年にも『五味マージャン大学』(青春出版社/プレイブックス)を刊行し、自身の《10戦9勝の奥義》を披露する。前の戦術書が初心者や中級者向けであったのに対し、こちらは有段者向けで、《それも五段の実力を身につける要諦を説いてみた。それとツキをわがものにする打ち方を》と、まえがきで宣言している通り、高等戦術が随所に散見できる。


また、五味は終生ぜいたくな趣味人であった。麻雀以外にも高価なオーディオ装置に耽溺し、クラシック関係の著作も少なくない。野球は徹底した巨人ファンで、川上哲治や長嶋茂雄に関する著作もある。


玄人はだしの観相学では、ブラウン管で美女相手に愛嬌を振りまき、もう時効だが時には帝国ホテルで美女と一緒に、楽しく遊んでいた姿を忘れられない。

配牌を取ったところで三色の決め打ち

ただし、雀豪作家と呼ばれる人たちのほとんどは、プロとも一緒に打つし、タイトル戦などにも出場していたが、なぜか五味は出てこなかった。

かつて、人気投票で選ばれる『雀聖位戦』というタイトル戦に、一度だけ出場したぐらいだが、この時にプロ2人と阿佐田との対局があったので記しておく。


東場3局南家 ドラ一索。


五味は原点のままで2着。南家でもらった配牌は、發がトイツで入っているものの、大物手を狙える感じではない。


たいがいの打ち手なら南家ということを考慮し、發をポンしての1000点。うまいことドラを引いてくれば、2000点で親を迎えたいと考えるところだ。


ところが、五味は六筒ツモで打五萬。手の内には一萬、五萬、八萬に、オタ風の西もあり、普通なら西か八萬切りだろう。


しかし、五味は配牌を取ったところで「この手は一、二、三の三色まで伸びる」と読み、最初から決め打ち。待ちもペン三萬、あるいはカン二萬と予想して、迷彩を施していった。


8巡目までに一索、一筒、三筒と引き入れ、發をアタマに10巡目、三萬を引いてテンパイ即リーチ。3巡後に二萬が出て、リーチ、ドラ1、三色で満貫。五味がこの半チャンの主導権を握ったのは言うまでもない。


(文中敬称略)
五味康祐(ごみ・やすすけ) 1921年12月20日生まれ~1980年4月1日没。52年に実質的な処女作『喪神』で第28回芥川賞を受賞。56年には『柳生武芸帳』が人気を博して剣豪小説ブームを築く。小説のほか麻雀、オーディオ、プロ野球に関する著書も多い。
灘麻太郎(なだ・あさたろう) 北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。