中川家とサンドウィッチマンの漫才〜島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

ちょうど『佐賀のがばいばあちゃん』が売れて、M-1の審査員を務めていた10年以上前は、吉本興業に所属していて、月に1回は大阪のなんばグランド花月にB&Bで舞台に立っていたんですよ。


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その時は中川家の弟の礼二とよく飲みに行ったね。大体、礼二を誘うと、彼が他の若手芸人も連れてきていた。


俺はオッチャンとオバチャンだけで切り盛りしているような、小さなおでん屋が好きなんです。他には寿司屋。スナックには行かないですね。芸人の世界は上下関係が厳しいから、後輩の礼二たちは「はい」としか答えないし、面白くないんですよ。だから後輩とはそういう店を避けますね。


礼二たちとは、大抵1軒目がおでん屋です。こじんまりとしたおでん屋が劇場近くにあったからね。そこで少し飲んで食べて、次は寿司屋へハシゴする。そして、またおでん屋へ戻り、寿司屋へ行くというパターンを繰り返すんです。そうしたら、礼二が「師匠。もうおでん屋はやめてください。2回目ですよ」と泣きが入る。「じゃあ寿司屋へ戻ろうか」と返すと、「いやいや、寿司はもう食えませんよ」。「1貫でも2貫でもエエから寿司を食え」と冗談で言うと、「寿司屋は今日3回目ですよ」と呆れていました。そんなことを定番にしていましたね。


中川家は皆さんも知っているように物凄く才能のある漫才師ですよ。やはり、漫才師同士は自然と芸の話題になりますよね。例えば、礼二からツッコミやボケについて質問されて、アドバイスすることもあります。他には、やすきよ(横山やすし・西川きよし)さんなどの先輩芸人の伝説をリクエストされたりね。

いい漫才はモノマネから始まる

一度だけ、中川家のお兄ちゃんの剛に「語尾をはっきりと言ったほうがエエで」と助言したことがあります。「なんでやねん」の「やねん」をハッキリと言わないと、広い劇場では音が流れてしまい、お客さんにしっかりと聞こえないんです。中川家の漫才は、俺らと同じで持ち時間を超えても20分、30分と喋り続けるもんね。俺らの漫才を継いでいるのとちゃうかな(笑)。

あと俺らの漫才と似ているのは、サンドウィッチマンですね。初めて、サンドウィッチマンの漫才を見た時、似てるなと思ったから。一度、NHKの『サンドのお風呂いただきます』という番組のロケで俺の家に来たことがあるんです。その時に「お前らおもろいな」と褒めると、「洋七師匠の漫才のビデオを何度も見て勉強しました。洋七師匠に似ていると言われます」と話していましたよ。


振り方、落とし方、二段落ち、三段落ちと俺らのスタイルにそっくりだもんね。しかも、次から次へとボケる。「デブ同士であんなにスピーディーな漫才をするとは思わんかったわ」と伝えると、「他の師匠たちにもよく言われます」と見るとこは一緒なんだね。M-1グランプリ2019で優勝したミルクボーイの内海崇の喋り方も俺に似てるね。


俺たちだって、やすきよさんや中田カウス・ボタンさんの漫才を見てマネしていた。「芸は盗む」とよく言うけど、本当にそう。モノマネから始まる。いろんな漫才を見て、良い部分を取り入れていくんですよ。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。