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司会者・玉置宏“大スターと対峙して磨いた洞察力”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

(画像) Nor Gal / shutterstock

明治大学を卒業した玉置宏が、文化放送にアナウンサーとして採用された折、最初に担当したのが『あなたの歌謡曲』であった。以来、50年近くの長きにわたり、流行歌一筋に歩んだ人生だった。

局アナになって2年目に、早くも独立。この時に持った番組が『ロッテ歌のアルバム』(TBS系)で、以後1000回も続く異例の長寿番組となった。その間、多くの歌手が現れては消えていく中で、玉置はスターを超える番組の顔として君臨し続けた。

当時、彼の司会ぶりは賛否両論で、大物歌手に対してはもみ手をするかのように大げさに褒め上げる。その一方で若手歌手には、友達に語りかけるようになれなれしく接した。

そんな対応の落差に世間は批判の目を向けたが、玉置はひるむどころか、逆にこう切り返している。

「司会者は包装紙である」

番組や歌手は、いわば商品。それを包み込む包装紙は、中身をいかによく見せるかが使命なのであって、美辞麗句は当然のこと。自分はそれに向けて、忠実に役目を果たしているにすぎないのだと。

有名な「1週間のごぶさたでした」というフレーズとともに、玉置の歩みはそのまま昭和の歌謡史に連なっている。

競馬やパチンコなどには一切手を出さない彼が、唯一、親しんでいたギャンブルが麻雀である。雀歴は社会人になってからで、歌手の地方巡業に帯同した際に覚えたという。長い幕間の時間つぶしには麻雀が最適で、自分の意思で覚えたというより、誰かに覚え込まされたのだろう。

玉置が最大の敬意を込めて「御大」と呼ぶ村田英雄や、まるで生涯の親友のごとく「サブちゃん」と語りかける北島三郎あたりも、大の麻雀狂。楽屋近くの麻雀荘、あるいは旅館の一室で玉置と卓を囲む風景は、さぞかしにぎやかだったに相違ない。

勝つことがすべてではない

彼は名司会者だけあって、麻雀の際も鋭い観察力を発揮し、ほかの3人の一挙手一投足を見逃さない。誰が波に乗りつつあるか、反対に誰が落ち目であるかを見極めつつ、臨機応変に打ち続けていく。

しかし、いかに玉置の洞察力が優れていても、測ることができないものがある。それは、大スターと呼ばれる面々が本能的に備えている独自の勝負強さで、村田御大や北島サブちゃんも例外なく、無類の勝負運を持っている。

では、スターが先天的に持ち合わせている勝負運に対して、玉置はどう対処してきたのであろうか。

まず、スタートは消極策を取る。半荘1回目は様子見に徹し、自分からは積極的に動かない。ひたすら他家を観察することに専念し、アガりグセなどと称して軽率に動くのはタブー。

安い手を極端に嫌うスターもいるから、彼らの機嫌を損なわないためにも、じっと我慢する。勝つことが最終目的ではあるが、それがすべてではないとする玉置流の名フレーズがある。

「あとで泣くより笑ってオンリ」

フリーに転身したきっかけが、三橋美智也の助言だったこともあり、玉置はこちらの大御所とも親しい。私が彼と初めて出会ったのも、三橋宅で麻雀をしていたときだった。

東場3局、7巡目、親の三橋が九筒をポンしてホンイツに走っており、ダブ東がトイツで入っていると私はみていた。

このとき西家である玉置の手牌は、東1枚を絞りながら、チャンタのイーシャンテンだった。この手にドラの中を引き、トイツで持っていた西切り。東は無論のこと中も絞る考えだ。

9巡目、三橋が中をツモ切り。通ることが分かったが、東は最後まで絞り流局している…。

理想と現実のトイトイ作戦

南場2局では、8巡目に親の私が九索切り、四、七筒待ちで即リーチをかけた。しかし、このリーチに対して南家の三橋が果敢に攻め、索子のチンイツ手をテンパイする。

玉置は9巡目にタンヤオ、ドラ1をカンチャン待ちでテンパイするも、ヤミテンで回し、11巡目、四、五、六の三色になるべく四萬を引いてきたところで、追いかけリーチ。

結局、三橋が三萬をツモ切り。玉置は安目ではあるが、「ロン!」で5200点。3人のめくり勝負にも、強いところを見せた一局ではある。

「玉置麻雀」の基本は鳴かないことを理想としているが、手中に暗刻一、トイツ二組になったら迷わずポンして、トイトイに持って行くと決めているという。

格言にいわく〝ポンポンするのは田舎の麻雀〟とある。露骨にトイトイを狙っている初級者に対して、イビるときなどに使う言葉である。

また、俗に〝トイトイに筋なし〟という言葉がある通り、待ち牌が読みにくい役の一つでもある。そんなわけで、こんな役をちょいちょい狙われていたのでは、ベテランとしても調子が狂って仕方がない。

そこで、初級者がトイトイを狙ってきたときには、「ヘタのトイトイ狙い」などと言って挑発し、後々、同じ展開にならないようにしているわけだ。

玉置はこの事を知り尽くしていながら、勝ちきるための作戦として、トイトイを使っていた。さすが、勝ち組の打法であった。

(文中敬称略)

玉置宏(たまおき・ひろし)
1934年1月5日生まれ~2010年2月11日没。56年、文化放送にアナウンサーとして入社。58年にフリー転身後は『ロッテ歌のアルバム』をはじめ、テレビ、ラジオの名司会者として活躍。02年には横浜にぎわい座の初代館長に就任した。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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