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富田丈夫・初代國領屋一家総長が死去…二代目に託した「名門の誇り」

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9月20日、六代目山口組に訃報がもたらされた。元直系組長で「幹部」を務めた富田丈夫・初代國領屋一家総長が、闘病の末、78歳でこの世を去ったのだ。

一昨年の夏、富田初代は病気療養を理由に引退。戸塚幸裕二代目(静岡)に跡目を譲り、分裂終結の決意を託していた。

富田初代は静岡県浜松市で生まれ育ち、中学卒業後に働いていたが、國領屋下垂一家の組員と知り合い、23歳の頃、正式に若い衆となって渡世入りしたとされる。昭和59年、竹中正久四代目体制の発足時に瀧澤孝総長が國領屋下垂一家九代目として直参昇格した際、同一家の若頭に富田初代が就任。平成3年に芳菱会が発足すると、引き続き若頭に就き、同時に國領屋下垂一家十代目を継承した。

下垂一家の歴史をたどれば、江戸時代にまで遡るという。同一家が地盤を築く静岡県では、幕末から明治にかけて活躍した清水次郎長親分が有名だが、他にも名の通った親分衆がひしめいていた。浜松に広大な縄張りを持っていた國領屋亀吉親分も、その一人だった。同一家はその後、國領屋一力一家、國領屋下垂一家、國領屋鍛冶町一家と枝分かれし、系譜もそれぞれに引き継がれたのである。

激動の人生に静かに幕

瀧澤会長は、渡辺芳則五代目体制で若頭補佐や関東ブロック長を歴任し、銃刀法違反事件の裁判も抱えて多忙を極めていたため、その間、富田初代が組織運営を一手に担った。直参昇格前から実力は群を抜いており、平成21年9月、司忍六代目体制において、芳菱会の名門組織・國領屋一家の名跡を復活させて、山口組の直系組長となったのだ。

史上最大の抗争である山一抗争を生き抜き、今回の分裂劇を見つめ続けた富田初代。激動の人生に静かに幕を下ろした。

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