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六代目山口組・髙山清司若頭と五代目山健組最高幹部が“初対面”!

(C)週刊実話Web 

六代目山口組(司忍組長)に「幹部」として復帰した中田浩司組長率いる五代目山健組(兵庫神戸)が、「総会」での正式発表から1週間後、六代目側の〝指揮官〟である髙山清司若頭と、ついに対面した。

9月22日、その重要な場となった滋賀県大津市の六代目側直系・淡海一家(髙山誠賢総長)の本部は、早朝から慌ただしい雰囲気に包まれた。特定抗争指定の警戒区域外にあるため、執行部会や親戚団体による時候の挨拶の会場として使用されてきたが、今回は五代目山健組の復帰挨拶とあって、緊張が漂っていた。

「地元の滋賀県警は、淡海一家本部と周辺に約50人態勢で警戒を敷いとった。防弾チョッキを着用して、拳銃を携帯した捜査員までおって厳戒態勢やったで。五代目山健組が戻ったいうたかて、まだ山口組の分裂抗争は続いとるから、不測の事態に備えとったんやろな」(ベテラン記者)

淡海一家本部には、六代目山口組・森尾卯太男本部長(大同会会長=鳥取)をはじめ、竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長=愛知)、安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長=兵庫姫路)、薄葉政嘉若頭補佐(十一代目平井一家総裁=愛知)、秋良東力若頭補佐(秋良連合会会長=大阪浪速)や、事務局長の篠原重則幹部(二代目若林組組長=香川)、若頭付の山下昇幹部(極粋会会長=東大阪)、若中の能塚恵・三代目一心会会長(大阪中央)の他、弘道会の野内正博若頭ら最高幹部が集結した。午前9時半ごろに、髙山若頭を乗せた車両も到着。六代目側最高幹部が顔を揃え、五代目山健組一行の到着を待ったのだ。

午前10時すぎ、野内若頭ら弘道会最高幹部が本部前に立つと、捜査員に緊張が走った。五代目山健組の到着が、間近に迫っていることを意味していたからだ。

直後、本部前の通りに2台の高級ミニバンが現れ、弘道会の最高幹部が駐車場に誘導。車両から物部浩久若頭(三代目妹尾組組長)、福富均舎弟頭(福富組組長)、水田忠好若頭補佐(三代目村正会会長)、中村啓一若頭補佐(二代目南進会会長)、木本陸郎若頭補佐(三代目鷲坂組組長)の5人が、次々に降り立った。

山口組史上で初めてのこと

「神戸山口組(井上邦雄組長)傘下だった頃、『敵は弘道会』いう方針に則って、五代目山健組も対立しとった。その弘道会の最高幹部たちに一行が出迎えられる光景には、まだ違和感があったな」(同)

髙山若頭と対面した一行は、わずか15分で退出。挨拶に終始したようだった。

「あっけなかったが、六代目側にしてみれば、すでに結果が出ていることであって、次の戦略に動こうとしとる表れなんやないか」(同)

髙山若頭ら最高幹部を前に、物部若頭らは六代目山口組傘下で活動していく決意を述べたという。

「帰り際、福富舎弟頭が旧知の直参と笑顔で言葉を交わしていたのが印象的やった。五代目山健組は中四国・阪神ブロックの所属になり、勾留中の中田組長に代わって物部若頭がブロック会議などに出席するからか、ブロック長の安東若頭補佐たちと話し込む場面もあったんや。六代目山口組の一員になったいうんが、端から見とってもようやく実感できたで」(同)

約6年ぶりに六代目山口組の直系組織として返り咲いた五代目山健組。代替わりしているとはいえ、先代が山口組本家から絶縁処分を受けた直系組織が、名称そのままに直系として復帰するのは、山口組史上、初めてのことだった。

「分裂後、司六代目は常々『若い者に罪はない』として、門戸を開いてきた。絶縁組織の帰参は異例ではあるが、山健組を興した山本健一初代は、若頭として田岡一雄三代目山口組組長を支え続け、山口組の発展に尽力した人物だ。今回の復帰の形は、司六代目が掲げる『先人顕彰』に基づく方針といえるだろう」(業界ジャーナリスト)

山健組一行が引き揚げたのちも、髙山若頭ら最高幹部は淡海一家本部に2時間ほど留まっていた。〝指揮官〟である髙山若頭を中心に、今後の戦略について話し合われた可能性も否めず、現場では静寂とともに張り詰めた雰囲気が続いた。

力を合わせて頑張っていく

「分裂終結に向けて、まだ複数の〝課題〟が残されている。神戸山口組はもとより、神戸側を脱退して独立組織として活動を続ける池田組(池田孝志組長=岡山)や、絆會(織田絆誠会長)の存在がある。〝四派乱立〟の状況を解消しない限り、この分裂劇は終わらない。また、分裂当初に処分を受け、のちに神戸側を引退した直系組長たちにも、六代目側は何らかのケジメを求めるとも考えられる。業界内からは年内終結説も聞こえるが、五代目山健組復帰を機に、いよいよ六代目側は畳み掛けていくのかもしれない」(同)

復帰挨拶の翌日、神戸市内の霊園に物部若頭らの姿があった。山健初代が眠る墓と、歴代物故者を供養する「五輪の宝塔」に墓参したのである。

神戸市は警戒区域内のため、物部若頭ら直系組長は規制対象となる組員5人以上に達しないよう代わる代わる訪れ、六代目山口組への復帰を報告したようだ。

「弘道会系組員への銃撃事件(一昨年8月)で実行犯とされ、現場不在が続いとる中田組長は、拘置所から昨年7月に神戸山口組脱退、今回の六代目山口組復帰いう大きな決断を下しとる。そこには、常に『若い衆の将来のため』との思いがあった。

中田組長の意を汲んで、物部若頭たちも『力を合わせて頑張っていく』と決意を表したそうやし、六代目傘下となってからの活動に、警察も警戒を示しとる」(関西の組織関係者)

さらに、五代目山健組・西川良男若頭亡きあと、蜜岡伸貞会長が跡目継承した七代目健竜会で、若頭などの新人事が発表されたことが判明。健竜会は山健組の本流であるため、盤石の体制が築かれた背景には、不穏さも感じられた。

「神戸山口組・寺岡修若頭(俠友会会長=兵庫淡路)が道仁会・小林哲治会長(福岡)と会い続け、分裂に関する話をしているそうだが、肝心の井上組長に動きが見られない。組織存続の覚悟が揺るがないとなれば、六代目側は武力行使になりかねない」(前出・業界ジャーナリスト)

五代目山健組の復帰と同時に、六代目山口組による最終決戦に向けた〝狼煙〟が上がった――。

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