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五代目山健組が六代目山口組に正式復帰――トップの“声明文”入手!

中田五代目(C)週刊実話 無断転載禁止

中田浩司組長率いる五代目山健組(兵庫神戸)が、決断の時を迎えた。

雨雲が空を覆った9月16日、兵庫県内に五代目山健組の直参らが集結した。かねてから噂されていた六代目山口組(司忍組長)への復帰に関して、正式な発表が行われるからだった。

午前11時、本誌取材班が会合場所として浮上した某所に到着すると、その駐車場に人けはなく、周囲で地元住民が立ち話をする姿や、時折、県内ナンバーの車両が止まり、買い物客が降り立つ日常の光景しか確認できなかった。半信半疑のまま待ち続けると、正午すぎ、動きがあった。神戸ナンバーのミニバンが、駐車場に滑り込んだのである。

その後ろには、警察車両がピタリと張り付いており、ミニバンが停止した場所を確認するとUターンし、スピードを上げてその場から離れていった。直後には、県外ナンバーの高級ミニバンが到着。車内から人が降りる気配はなく、濃いスモークの窓から、中の様子を窺い知ることはできなかったが、五代目山健組の集結は間違いないという確信に変わった。

会場の準備が整うと続々と車両が現れ、物部浩久若頭(三代目妹尾組組長)、福富均舎弟頭(福富組組長)、水田忠好若頭補佐(三代目村正会会長)、中村啓一若頭補佐(二代目南進会会長)、木本陸郎若頭補佐(三代目鷲坂組組長)、田中純一若頭補佐(二代目中川連合会会長)、松森治若頭補佐(三代目宮鉄組組長)といった最高幹部が顔を揃えた(岡田渉若頭補佐=二代目武神会会長は勾留中)。

午後1時、全直参が集まる「総会」に先んじて、組織運営を担う執行部の会合が始まった。

「五代目山健組トップの中田組長は勾留中やから、その右腕にして山健組の本流である六代目健竜会を率いた西川良男若頭が、実質的に統率を図っとった。けど、6月に新型コロナの影響で亡くなってしまった。代わりに誰が指揮を執るんか注目される中で、六代目山口組への復帰説が、降って湧いたんや。

噂レベルかと思うたらそうでもなく、8月には双方の最高幹部が会うとる。席を持つからには、それ相応の手順を踏まないかんはずや。復帰に関する話し合いが大詰めを迎えとるんやないか、と業界内では確定的にいわれるようになったんや。せやけど、双方の対立事件で死者や負傷者が出とる背景もあって、フタを開けてみるまではどうなるか分からんかった」(地元記者)

親を取るか、子を取るかの苦渋の決断

六代目山口組と五代目山健組の間では、一昨年に相次いで対立事件が発生。4月に当時の五代目山健組・與則和若頭が重傷を負う刺傷事件が起きると、8月には三代目弘道会(竹内照明会長=愛知)系組員が銃撃された。さらに、その報復として五代目山健組系組員2名が、白昼の路上で弘道会系組幹部によって射殺されたのだ。

弘道会系組員への銃撃事件では、のちに中田組長本人が実行犯として逮捕、起訴される衝撃の展開を迎え、昨年には拘置所から神戸山口組(井上邦雄組長)脱退という重大な決断を下した。

五代目山健組内に脱退の最終決定を伝えた手紙では、「親を取るか、子を取るかの苦渋の決断」と記されていたといわれ、中田組長の葛藤がうかがえた。しかし、「若い衆を取る」と決意表明したことで、一部の直参は井上組長率いる神戸山口組に残留。五代目山健組の勢力が大きく変化した。

「神戸山口組からの脱退の裏には、五代目山健組の最高幹部たちが井上組長に〝窮状〟を訴えた際、意見のすれ違いがあったからといわれとる。その現状が勾留中の中田組長にも伝わり、苦悩する子分たちのことを思って決断したんやろな。せやから今回も、直参たちの声を最も重視しとったはずや」(関西の組織関係者)

六代目山口組へ復帰するか否かも、中田組長の判断に委ねられたのだ。

その発表が9月16日に行われるとみられていた。ところが、直前になって中止が通達されたという。これが何を意味するのか、再び業界内で憶測が飛び交った。

「内部で意見がまとまらんからか、特定抗争指定の関係で警戒区域外でしか集まれんから、会合場所を探しとるだけなんか定かやなかった。ただ、延期いう話もあったから、単に日程調整しとるだけやったのかもしれんな」(前出・地元記者)

前日になると、いったんは中止された会合が、予定通り行われることが判明。冒頭のように、当日、本誌取材班も最高幹部らの集結を確認したのである。

復帰は濃厚といわれながらも、現場を見る限りでは不透明だった。執行部会の前には、表に出た最高幹部2人が激しい身振り手振りを交えて話しをする姿があり、語気を強めている様子が見て取れた。その後、2人は建物内に戻り、執行部会の最中に全国の直系組長らが次々に到着した。

本誌取材班は物陰に身を潜めて注視していたが、カメラを持った別の記者が姿を現すと、車両で待機していた一部の組員らがその存在に気付き、色めき立った。ある組員は、牽制するかのように鋭い視線を向けて記者に接近するなどし、現場に緊張感が漂ったのだ。

深い“菱の代紋”への思い

「特定抗争指定前は山健組本部で定例会やっとって、警察も多く来とったし、特に組員がマスコミにピリピリすることはなかった。今回は極秘裏の会合で、内容も内容やから水を差されたくなかったんちゃうか」(同)

午後2時、全直参が揃う中、注目の会合が始まった。

約1時間後、建物の扉が開くと複数の直系組長が姿を見せ、車両に乗り込んで帰途に就いた。表情から発表内容は読み取れなかったが、言葉を交わしながら別れる姿を見る限りでは、少なくとも五代目山健組内での決裂はなかったといえる。

その直後、業界内に六代目山口組の通達が一斉に広まった。

〈五代目山健組は『幹部』で復帰決定〉

中田組長を、最高幹部への登竜門といわれるポストで迎えたのだ。

半数以上の直参が引き揚げたのち、物部若頭と福富舎弟頭が姿を現した。六代目山口組への復帰という決断の重さを物語るかのように、踏みしめるような足取りで、物部若頭の手にはA4サイズの茶封筒と白い郵便封筒があった。特に白い封筒は折り目が付かぬよう、丁寧に携えている印象だった。

「拘置所におる中田組長からの手紙やったと思うで。会合で読み上げられとって、若い者の将来を考えて決断したと。『本来の山口組』いう言葉もあったそうやから、中田組長にとっても菱の代紋への思いは深かったと察しとる。混乱を招いたことへなのか、『私の不徳の致すところ』いう謝罪も含まれとったと聞くで。ただ、分裂抗争では中田組長自身が体を賭け、組織から死者も出たことやし、今回も苦渋の決断やったんは間違いないはずや」(前出・関西の組織関係者)

五代目山健組の復帰は、抗争の本線である六代目側と神戸側の対立に、大きな影響を及ぼすとみられる。

「神戸山口組は六代目体制に異を唱えて結成された。その中核組織だった山健組が脱退し、六代目側に戻ったことで、神戸側の大義そのものが崩れかねない。さらに、復帰によって五代目山健組とは敵対関係になった。分裂終結に向けて、ここから六代目側は一気に畳み掛けていくだろう」(業界ジャーナリスト)

ある他団体幹部は今回の復帰に関して一部、懸念を抱いていると話す。

「六代目山口組にとっては、これ以上ないほどの〝勝利宣言〟だ。けどな、神戸山口組・井上組長の『最後まで戦う』という意志は変わらず、傘下にはまだ『山健組』を名乗る面々も残っている。今後も、五代目山健組に〝しこり〟がある状況に変わりはないだろう…」

急展開を迎えた分裂劇。六代目山口組の〝次の一手〟に緊張が高まっている。

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