長州力「おまえら噛みつかないのか!?」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

革命戦士として一時代を築いた長州力は、リング上だけでなく数々の名言でもファンを魅了してきた。生の感情をそのまま爆発させ、言葉によって扇動できるところも、長州のプロレスラーとして優れた点と言えるだろう。

短気で直情的なイメージが強い長州力は、実際の性格にもそうした面が色濃く見られる。しかし、その発するコメントには巧妙な工夫がこらされていて、かの糸井重里が「電通に入ったら大成功していた」と、そのワードセンスを絶賛したとの逸話もある。

最初に長州の名前を広くプロレスファンに知らしめたのは、「俺はおまえのかませ犬じゃない」とのセリフであろう。

これ自体は実況の古舘伊知郎による創作で、長州が雑誌インタビューで語った「ここで自分を主張できなかったら、僕は一生、かませ犬のままで終わってしまうんですよ」との一文を改変したものである。

印象的なかませ犬というフレーズについては、当時、新日本プロレスで営業本部長を務めていた新間寿氏が、「動物小説家として名高い戸川幸夫の『咬ませ犬』という短編小説を長州が読んでいて、そこから引用したものであった」と証言している。

藤波の方こそ「かませ犬にされてたまるか」の思いが…

また新間氏は、表面的なイメージとは異なり、長州はかなりの読書家だったとも話しており、独特のフレーズはそんな読書体験から生まれたことがうかがえる。

古舘はかませ犬のフレーズをあくまでも長州と藤波辰巳(現・辰爾)の抗争を盛り上げるために使っていたが、改めて原文を読み返してみると、「一念発起しないと中堅でくすぶったまま終わる」との意味合いにも受け取れる。

つまり、長州自身はプロレスを仕事として考えた上で、自分自身のキャリアアップにこそ重点を置いていたのではないか。当初は藤波へのライバル意識もさほど持ち合わせておらず、結果的に自分を売り出すチャンスとして、藤波との〝名勝負数え唄〟を繰り広げたというわけだ。

そもそも長州は、レスリング五輪代表の肩書を引っ提げて入団してきたエリート選手。一方の藤波は何の実績もなく、下積みから這い上がってきた選手であり、〝挫折エリート〟の長州に踏み台にされるなどは、まっぴらごめん。むしろ藤波のほうこそ、「かませ犬にされてたまるか」との思いであったろう。

仮に長州が嫉妬の念を抱くとすれば、藤波よりはむしろ同じ五輪代表で、全日本プロレスにおいて着実にメインイベンターの道を歩んでいたジャンボ鶴田のほうかもしれない。

ただし、その後の長州の全日移籍については、アントニオ猪木の事業で経営状態がひっ迫した新日よりも、全日のほうが安定して稼げることが一番の理由であり、そのときは〝鶴田へのライバル心〟という要素はさして大きくなかったようだ。

結局、その全日からも離れて新日に出戻ることになるのだが、これも新日側からギャラアップと現場監督就任の提示がなされたことが、決め手だったと言われる。かように金銭にシビアというのも長州の特徴だ。

1999年に藤波が新日社長に就任した際、当初、その話は長州に持ち掛けられたものであった。しかし、この頃の新日は経営不振であったことから、社長就任時には「自宅を担保に入れて融資を受ける」などの条件付きであったため、それを嫌がり断ったのだという。

1987年6月12日、第5回IWGP決勝戦は猪木がマサ斎藤を下して優勝し、初代IWGP王者となったところで、長州はついに新日マットへ再登場となった(それまでは日本テレビとの契約のため、マサのセコンドに付くだけだった)。

長州力 両国の大舞台で世代交代を叫ぶ

リングに上がった長州は敗れたマサには一瞥もくれず、マイクをつかんで「藤波! 俺は自分たちの世界を変えようと3年間、叫び続けてきたぞ」「藤波、前田! 今こそ新旧交代だろうが。おまえら噛みつかないのか!? 今しかないぞ、俺たちがやるのは!」と、故障欠場のためテレビ解説席にいた藤波と前田日明に向かって叫んだ。

この世代交代アングル自体は、新日やテレビ朝日が用意したものであったが、そこで単純に藤波や前田に向けて「手を組もう」と言わないところが、長州のセンスのよさだろう。共闘ではなく「俺はやる、おまえらもやれ」と、個人の闘いに転換することによって、新たな緊張感を生み出してみせたのだ。

これに対する猪木や前田のコメントもまた秀逸なものであったが、それらについては改めて紹介したい。

なお、このとき藤波は、長州の呼びかけに対して「やるぞー!」と素直に応じていたのだった。