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女優・中村珠緒“ニコニコ顔の裏に潜む博打好きの血”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

(画像) Rafael Dillon / shutterstock

中村玉緒さんほど、身内の事件や騒動に遭遇した芸能人はいないだろう。

つまずきの発端は1979年、映画『影武者』の撮影中に、夫の勝新太郎が黒澤明監督と衝突し、主演を降板した騒動であった。

81年には勝プロダクションが、総額14億円の負債を残して倒産。翌82年には大麻不法所持で、長女(当時19歳)と長男(同17歳)が逮捕された。

89年には長年の沈黙を破り、勝新が製作、監督、脚本、主演の1人4役を務めた映画『座頭市』が公開されたが、撮影中に息子の奥村雄大(本名で映画デビュー)が誤って真剣を使用し、斬られ役の俳優が死亡する事件が起こった。

そして、極め付きが90年の〝パンツに薬物事件〟である。ハワイのホノルル空港で、パンツの中にコカインとマリファナを隠して現行犯逮捕された勝新が、その理由について「知らない間に入っていた」と主張。逮捕後の記者会見でも「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」ととぼけ通し、強制退去命令を受けたのだ。

結局、勝新は帰国した翌年に麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決が下された。

その後、勝新は96年に下咽頭がんを発病。玉緒さんの看病むなしく、97年6月21日に65年の生涯を閉じた。

というように、夫と子どもたちが引き起こしたアクシデントに振り回され続けた十余年。いかに玉緒さんが天真爛漫な性格で、芯の強い京女といえども、相次ぐ事件の重圧に耐えきれるはずがない。

想像を絶する精神的苦痛に対して、どう対処していたかといえば、大好きなギャンブルと向き合うことで、心労を和らげていたのだ。

ピンチにも動じない精神的

舞台公演の際には、空き時間を利用して近くの雀荘に駆け込む。衣装やカツラ、メークもそのままで、上からコートをはおったスタイルで卓に着く。

麻雀するほど時間がないときは、1人でパチンコを打ちに行く。メガネを掛けて一心に球を打っている姿を見ても、誰も玉緒さんとは気付かないから、少しだけ嫌なことを忘れられるという。逆に終日オフだと競艇場へ…。

ギャンブルに没頭することによって、心身のバランスを取っていたのだが、もともと、彼女には博打好きの血が色濃く流れている。

父親の二代目中村鴈治郎は人間国宝にも認定された上方歌舞伎の重鎮だったが、博打と名が付けば何でも手を染めるほどのギャンブラー。競馬、パチンコ、麻雀と、鴈治郎は色の道でも家族を泣かせたが、賭け事に関しても並外れていた。

ただし、何をやっても勝てない。馬券の負けが高じて、離婚話が持ち上がるほどの散財ぶりだった。玉緒さんの手元には、亡父の形見である競馬観戦用の双眼鏡が、いまでも大事に残されている。

ギャンブルで負け続けた父の無念が娘に乗り移ったのか、玉緒さんの博才は目を見張るほどである。私は勝新や義兄の若山富三郎とも卓を囲んだが、豪速球型の兄弟とは対照的に、緩急をつけて、時に変化球を交えた柔軟な打法で勝ちを収めていた。

冷静沈着で、どんなピンチにも動じないあたりは、スキャンダルによって精神的なたくましさを培っているからだろう。

好みの手が入ったとき、玉緒さんは楽しそうにニコニコするが、私はこのニコニコに弱いのである。

以前の対局中、彼女が急にニコニコし始めたので、何かあると察知した。私がトップで彼女を1万点ほど離している。場はオーラス、彼女はラス親。

私はピンフの手をヤミで張っていたが、彼女のあまりのニコニコぶりにドラの五筒が切れなくなり、弱気になってオリてしまった。ところが、オリた途端に彼女から当たり牌の九筒が出て、しまったと思ったが、その場は流れた。

してやられた「西」の地獄待ち…

「玉緒さんがあんまりニコニコするから、大物手だと思って…」

すると、彼女はあっけらかんと言った。

「私、中村玉緒ですさかい中が好き。その中が暗刻になってくれはったから、うれしいて、うれしいて…」

実際のテンパイは、中が暗刻のカン八筒待ちだったのだ。

そして次局、玉緒さんが5巡目にリーチをかけてきた。リーチが早すぎて、待ちがまったく読めない。

すると、私は西をツモってきた。この牌は場に2枚出ている。当然ながら安全牌と考えて切り出すと、玉緒さんは「当たりです」とニコニコである。

「えっ、地獄牌で…」

私はてっきり七対子だと思った。すると、五萬が暗刻、五、六、七筒、三、四、五、六、七、八索に西。そして捨て牌は、北、九萬、白、二萬、二索でリーチ。

常識的に考えれば、西を切り出して、二、五、八索で待てばタンヤオになる。ピンフにしたければヤミテンでまわし、五萬へのくっつき牌を待てば、五、六、七の三色まで狙える手なのである。

それをわざわざ二索を切り出して、西の地獄待ち。

「なんでそんな待ちにしたんですか?」

「灘さんから出るような気がしたんです。やっぱり当たった、ええことある」

これで私のツキが落ち、玉緒さんはニコニコ…実に相性の悪いニコニコである。

(文中敬称略)

中村玉緒(なかむら・たまお)
1939(昭和14)年7月12日生まれ。父は二代目中村鴈治郎、兄は四代目坂田藤十郎。54年、大映に入社し、時代劇映画では純情な娘役を多く演じた。60年代半ば以降はテレビや舞台にも進出。夫の勝新太郎との間に一男一女あり。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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