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総理の器ではなかった菅総理~森永卓郎『経済“千夜一夜”物語』

森永卓郎
森永卓郎 (C)週刊実話Web

9月3日に、菅義偉総理が自民党総裁選への不出馬を突然表明した。会見で「新型コロナの感染対策に専念したい」と不出馬の理由を語ったが、素直に受け取った国民はほとんどいなかったろう。死に体になった総理に、大胆な対策など採れるはずがないからだ。

実のところ菅総理の総裁再任にかける執念は、とてつもなく強かった。8月30日、下村博文政調会長に対して「総裁選に立候補するなら政調会長を辞任しろ」と迫り、強引に出馬を断念させたほどだ。

しかし、総理に致命傷を与えたのは、岸田文雄前政調会長が打ち出した「党役員の任期を3年連続まで」という改革案だった。これは在任期間が歴代最長の5年を超え、国民に不人気の二階俊博幹事長を標的にしたものだ。

そのため、菅総理は即座に二階氏を交代させることにしたが、結局は最大の悪手になってしまった。二階氏は「私のことは気にせず、自由に人事を行ってください」と了承したが、はらわたは煮えくり返っていただろう。昨秋いち早く支持を表明して、菅政権誕生の最大の立役者となったのが、二階氏だったからだ。

菅総理は、二階氏に反感を抱く安倍晋三前総理、麻生太郎財務大臣の支持を取り付けようとしたが、両氏からの支持は得られなかった。総選挙直前の幹事長交代は、あまりに非常識であるからだ。

総裁選での苦戦を感じていた菅総理は、9月中旬に衆院を解散し、総裁選を先送りする考えだと、9月1日に報じられた。しかし、それが伝わると党内が一斉に反発し、菅総理は撤回せざるを得なかった。ここが総理のラストチャンスだったと思う。

泥船に乗ろうとはしなかった小泉環境大臣

解散権は総理にあるのだから、強引に踏み切ればよかったのだ。青木幹雄元参院会長が、自らの経験に基づき提唱した「青木の方程式」とは、内閣支持率と自民党の支持率の合計が50%を切ると、政権は退陣に追い込まれるというものだ。しかし、政権に最も厳しい毎日新聞の世論調査でも、内閣支持率は26%、自民党支持率も26%だから、合計は52%で、退陣水準には至っていない。

総選挙のときにはコロナ感染も一時的に落ち着いているだろうから、自民党単独過半数は十分に見通せる。ただ、そのときに問題になるのが、二階氏に代わる新幹事長だ。

菅総理は連日、小泉進次郎環境大臣と会談していた。幹事長就任を依頼したのだろうが、小泉氏は固辞した。さすが家業が政治家の小泉家だ。泥船に乗ろうとはしなかった。

そうした中で菅総理が最後に幹事長を打診したのは、石破茂元幹事長だったのではないか。総理の不出馬表明の後、インタビューを受けた石破氏は「選択肢が狭まった」と答えた。それは、幹事長という選択肢がなくなったということだろう。

幹事長が決められなければ選挙もできない。打つ手、打つ手がすべて裏目に出て、万策尽きた総理は、総裁の座を投げ出さざるを得なくなったというのが、不出馬の真相ではないか。

思えば、リスクを取れない総理だった。安倍政権を引き継いで高支持率を得た就任当初、党内から即座に解散総選挙を打つべきとの声が上がったが、実施しなかった、東京五輪の中止も決断できなかった。ロックダウンのような強い感染抑制策も実施しなかった。野戦病院の設置も決断できなかった。

総理大臣の仕事は、思い切ったリスクを取ることだ。その意味で、菅総理は総理の器ではなかったということだろう。そして、コロナ対策の正念場で、政治空白をつくった責任は重い。

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