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蝶野正洋『黒の履歴書』~1999年1月4日「小川直也VS橋本真也」の裏事情

蝶野正洋
蝶野正洋 (C)週刊実話Web

先日、あるテレビ番組に小川直也選手が出演して、1999年1月4日に新日本プロレス東京ドーム大会で行われた橋本真也選手との試合、いわゆる「1・4事変」について語ったことが話題になっている。

これはプロレスファンにとっては有名な一戦で、小川選手が暴走ファイトを展開して橋本選手が防戦一方となり、結果はノーコンテストに。試合後にはセコンド同士が乱闘騒ぎとなるなど、大きな波乱を巻き起こした出来事だった。

番組内で小川選手は「(アントニオ)猪木さんにちょっと来いって言われて、『これは世紀を懸けた一戦にするから、お前やってこい。一方的に蹴りまくって、最後は蹴ってリングから出すまでやれ』と言われた」と語り、暴走ファイトは猪木さんからの指示だったと告白した。

この「1・4事変」については、選手から裏方スタッフまで、いろいろな立場の人が自分の意見を語っている。確かに、それぞれの思惑やタイミングが折り重なって起きたことだから、「これが原因」と一言で語れない部分はあると思う。

俺もある時、「この出来事の背景にはこんなことがあった」とオフレコで話した。そしたら、それがいろいろな人に伝わって「蝶野が『1・4事変』の真相を知っている」ということになったみたいでね。そのすべてではないが、俺が考える〝原因〟の一つを語るよ。

今となってはケンカマッチも無駄じゃなかった

小川選手は「猪木さんがやれと言った」と明かしたけど、問題は「なぜ猪木さんが橋本選手に対して仕掛けたか」ということだよね。その原因の一つとして考えられるのが、2人が関わっていたサイドビジネスなんだよ。ある時、橋本選手が「今、画期的なビジネスに関わっている。すごくもうかるはずだから、そのうちみんなにアタッシュケースに1億円入れて持ってきてやるよ」と豪語したことがあった。それから1~2年後、猪木さんがあるビジネスにハマっているという噂が出て、その内容が橋本選手と同じだった。

橋本選手にしてみたら「俺が会社も作って、カネも突っ込んでる仕事に横入りしてくるな」となり、猪木さんも「なんで橋本ごときがそんなビジネスやってるんだ」となって、2人の仲が険悪になったんだよ。それがあの試合の前くらいのタイミングだったから、このサイドビジネスのバッティングという出来事が、橋本選手が仕掛けられた原因の一つだと思う。

ただ、小川選手はその前に組まれた試合で、橋本選手に危険な蹴られ方をしていたから恨みはあったし、同じくらいやり返してやる、という気持ちもあったんじゃないかな。

とはいえ、この試合後に橋本選手と小川選手はライバルとなり、やがてタッグを組むほどの盟友になったんだから、今となってはこのケンカマッチも無駄じゃなかったよね。

小川選手にもまだ明かしてないことがあるだろうし、猪木さんも無事に退院したから、「1・4事変」の真相についてコメントするかもしれない。

小川選手とは一度ゆっくり対談でもしてみたいね。この「1・4事変」や新日本プロレスで活躍していた頃のことがテーマになると思うけど、たぶん最後は橋本選手の思い出話になって、お互いにバカ笑いすることになるだろうね。

蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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