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王貞治さんとのキャッチボールを自慢したい!~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web 

俺は小学校の時に草野球を始めて、中学校で野球部に入った。それで高校は野球の強豪校である広島の広陵高校へ進学したんです。だから幼い頃から芸人になりたかったわけではなくて、プロ野球選手にものすごく憧れていました。野球で怪我をして、その夢が絶たれた。たまたま吉本の劇場で横山やすし・西川きよしさんなどの芸を見て芸人になったんです。

東京に進出して、漫才ブームで一気にブレークすると、たくさんの番組に出させてもらうことになった。そうすると、いろんな芸能人の方と出会いましたね。

でも、やはりプロ野球選手に会うと〝ワッ〟と思うんですよ。もともと、広島東洋カープのファンだから山本浩二さんと飲みに行った時はホンマに嬉しかったね。それは別として、今でも自慢にするのは王貞治さんとキャッチボールしたことです。

2010年に俺ががばいばあちゃんに扮した『島田洋七のお笑い佐賀のがばいばあちゃん』公演(福岡・博多座)を1カ月間やったんです。福岡ドームでのソフトバンクホークスの試合で、公演の宣伝のために始球式に登板することになったんですよ。

ばあちゃん役の衣装のまま福岡ドームへ行くと、王さんに「その格好珍しいね?」と声を掛けてもらって、「お芝居の宣伝で始球式に来ました」と伝えると、「キャッチボールでもして肩慣らししようか」と言われたんです。小学生の時から憧れていた王さんとキャッチボールできるなんて、夢にも思わないでしょ。

芸能界に入って一番夢のような時間

俺はばあちゃんの衣装を着て、王さんとキャッチボールをしている。何してるのかと思いましたよ(笑)。王さんは「この球場はマウンドが少し高いから、ちょっと上のほうへ投げたほうがワンバウンドしないよ」とアドバイスしてくれてね。20分くらいキャッチボールさせてもらいました。

でも、本番ではワンバウンドさせてしまってね。そうしたら王さんが「また始球式をすることがあるかもしれないから、キャッチボールをしよう」と再度言ってくれて、さらに20分くらいキャッチボールをしたんですよ。合計40分間のキャッチボールの時間が、芸能界に入って一番夢のような時間だったですね。

今でも、たまに福岡ドームにソフトバンクホークスの試合を見に行くことがあるけど、王さんをスタジアムで見かける度に、「俺は王さんとキャッチボールをしたことがあるんよ」と連れに自慢するもんね。王さんと話したことのある芸人はたくさんいるかもしれないけど、キャッチボールまでしたことがあるのは、きっと俺だけだと思うよ。

3年くらい前、ソフトバンクホークスの宮崎キャンプを見に行ったことがあるんですよ。そうしたら王さんから「元気?」と声を掛けてくれて、「ああ、覚えてはる」とすごく嬉しかったものですね。

ちょうどその時、練習場の近くで、工藤公康監督が子どもたちにファンサービスとしてソフトバンクホークスのサイン入り名刺を配っていたのよ。ちゃっかり、その子供の列に俺も並んでたら、工藤監督に「何やってるんですか? やめてくださいよ」と怒られました(笑)。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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