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俳優・片岡千恵蔵“撮影待ち時間に卓を囲む大スター”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

(画像) LightField Studios / shutterstock

1950年代から60年代にかけて「時代劇の東映」を支える2人の大物俳優がいた。

片岡千恵蔵と市川右太衛門である。千恵蔵は京都の山の手に住んでいたため「お山の御大」と呼ばれ、一方の右太衛門は同じ京都の北大路が住居で、こちらは「北大路の御大」と呼ばれていた。

東映の大スターにして重役も兼ねる両御大は、日頃から激しいライバル意識を持ち続け、口を利かないくらい仲が悪かったという。

芸風が異なる2人だったが、生活パターンにおいても対照的だった。撮影が終わると、取り巻き連中を引き連れて料亭に繰り出すのが右太衛門。飲みっぷりも当たり役の旗本退屈男と同様、いたく豪快であった。

千恵蔵のほうは、すぐに仲間を集めて麻雀を始める。もっとも、麻雀を打つのは夜に限ったことではない。撮影現場には、常にセットの片隅に麻雀卓が置かれており、少しでも待ち時間ができると裏方3人を招集して卓を囲む。

映画撮影に待ち時間は付きものだが、気の短い右太衛門は30分も待たされると途端に不機嫌になる。一方、千恵蔵はチャンスとばかりに麻雀に興じる。ただし、途中で撮影再開の準備ができたことを告げられても、なかなか腰を上げようとしない。

「待て、そう焦るな。いい手が入っているので、今は撮影どころではないのだ」

声を掛けたスタッフを軽くあしらう。いったん牌を握り始めると我を忘れてしまい、大きな役を逸すると牌を投げつけ、さらにエスカレートしたときには、麻雀卓の上にどっかりとあぐらをかく。

まさに大スターならではの〝御大麻雀〟であった。

そんな熱しやすい千恵蔵も、メンツ次第では冷静になることもあった。

仕事以外のエネルギーをすべて麻雀に

ある時、東映の大川博社長(当時)が京都双ヶ丘の別荘に、千恵蔵らを招いて麻雀を始めた。ほかのメンツは、プロデューサーの後藤浩滋と編集マンの宮本信太郎である。

大川が千恵蔵以上に〝わがまま麻雀〟だったエピソードが、後藤と山根貞男による共著『任俠映画伝』(講談社)に記されている。

《(前略)社長の打ち方がまるで違う。自分の番になるかならないかのうち早々と山から牌をつまんどいて、上の者からほしい牌が出てくると、その牌を拾うてくる。そんな誰が見てもすぐ分かることを、平気な顔でするのやから呆れた。当然、千恵蔵御大が言う。「社長、何してるの。ひとつ持っていっておまけに喰うなんて、そんな麻雀ありますかいな」「おう、そうかそうか」》

1912年、9歳で十一代目片岡仁左衛門主宰の片岡少年劇に入門した千恵蔵は、少年劇解散後に仁左衛門の直門となっていたが、次第に歌舞伎界の門閥制度を嫌悪するようになり、28年に映画界へ転身。その後、美剣士スターとして売り出すが、のちに本人は「チャンバラはあまり得意でなかった」と告白している。

32年、当時の千恵蔵は自身で片岡千恵蔵プロダクション(千恵プロ)を運営していたが、そこに入社してきた脚本家志望の男から麻雀を叩き込まれた。千恵蔵は酒をまったく口にせず、愛人はいたものの女道楽にふけることもなく、仕事以外のエネルギーをすべて麻雀にそそいでいった。

戦後はGHQの占領政策によって、時代劇の製作が禁止されたため、現代劇に活路を見いだす。46年、松田定次監督の『七つの顔』で主人公の藤村大造を演じ、これが当たり役となりシリーズ化された。

かつてのワンマンぶりは影を潜め…

51年の東映入社後は、遠山金四郎を演じた『いれずみ判官』シリーズが15作にわたって製作され、戦後の十八番となった。

また、新春オールスター映画の『任俠清水港』『任俠東海道』『任俠中仙道』で清水次郎長、内田吐夢監督の『大菩薩峠』で机竜之助、忠臣蔵では大石内蔵助を四度も演じ、それぞれ当たり役としている。

1983年の正月、千恵蔵は集まってきた弟子たちに新年恒例のお年玉を手渡した。これは毎年欠かすことのない行事で、数多くのお年玉袋を用意して若い連中に配るのを楽しみにしていた。しかし、この年だけは様子が異なっていた。

「なあ、みんな、ここで麻雀をやれよ」

「はい。でも、先生は打たないんですか」

つい口にしてしまった弟子は、すぐに後悔した。

1年前から腎臓病が悪化していた千恵蔵は、徐々に死期が忍び寄っており、とても麻雀を打てる体調ではなかったのだ。

「わしは、もういい。見ているだけで十分だよ」

お年玉袋の中には、真新しい1万円札が入っていた。それを資金にして麻雀を楽しんだらいい…というのが千恵蔵の心遣いだった。

涙をこらえて麻雀卓に着く弟子たち。千恵蔵は卓のすぐ近くで布団に横たわり、目を細めて観戦していた。

そこには、気に入らないと平気で麻雀卓の上であぐらをかいた、かつてのワンマンぶりは影を潜め、信じられないほどの静寂が漂っていたという。

同年3月31日、千恵蔵は腎不全のため死去。80歳没。東映は長年にわたる多大な貢献をたたえ、4月15日に社葬を執り行った。

(文中敬称略)

片岡千恵蔵(かたおか・ちえぞう)
1903(明治36)年生まれ~1983(昭和58)年没。長きにわたって活躍した時代劇スターで、戦後は金田一耕助や多羅尾伴内などを演じ、現代劇でも人気を得た。出演映画は約340本。東映創設当時からの重役俳優。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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