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佐々木健介「ポカした!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

佐々木健介
佐々木健介 (C)週刊実話Web

1995年4月、新日本プロレスの平壌興行で北斗晶と知り合った佐々木健介は、帰国後に電撃結婚。これを機にトップ獲りを目指したが、その後に始まったUWFインターナショナルとの全面対抗戦で、手痛い敗戦を喫することになる。

同年10月9日、新日本プロレス vs UWFインターナショナルの全面対抗戦が開催された。観衆6万7000人は当時、東京ドームで開催されたプロレスおよび格闘技大会の最高記録であった。その後、98年のアントニオ猪木引退興行が7万人、さらに2002年のK-1GP決勝戦が7万4500人の観衆を動員したが、ファンの熱量まで考えれば新日 vs Uインターが「ドーム史上最高に盛り上がった大会」といっても過言ではなかろう。

実際、試合当日にはチケットを入手できなかった多くのファンが、東京ドーム周辺に留まり、会場から漏れ聞こえてくる選手の入場テーマに一喜一憂する姿も見られた。

対戦カードと勝敗は次の通り。

○石沢常光、永田裕志(三角絞め)金原弘光、桜庭和志●

○大谷晋二郎(羽根折り腕固め)山本健一●

●飯塚高史(腕ひしぎ逆十字固め)高山善廣○

●獣神サンダー・ライガー(猛虎原爆固め)佐野直喜○

○長州力(サソリ固め)安生洋二●

●佐々木健介(膝十字固め)垣原賢人○

○橋本真也(三角絞め)中野龍雄●

○武藤敬司(足4の字固め)髙田延彦●

星取り的には新日側の4勝3敗とほぼ互角であったが、新日ファンはメインイベントの武藤と、対抗戦を主導した長州が勝利したことに快哉を叫んだ。

一方、Uインターのファンからすれば、総大将の髙田と副将格の安生が敗れるという不本意な結果となってしまった。

最大限の利益を得るために

両団体の間にはさまざまな軋轢があり、ついにそれが決着するということで大きな盛り上がりとなったが、しかし、これが「ビジネス目的」だったことは、今では多くの関係者が語っていることである。

新日は同年4月、北朝鮮で開催した『平和のための平壌国際体育・文化祝典』で多額の債務を抱え、赤字を穴埋めする必要があった。また、Uインターはビッグマッチ中心の団体運営が行き詰まり、起死回生の一手を模索していた。

そんな双方の思惑が合致して、「対抗戦で一儲けしよう」となったわけだが、ビジネスである以上はワンマッチで終わらせてはもったいない。抗争を続けることで最大限の利益を得るためにも、互角の勝負を演出する必要があった。

しかし、そうは言っても新日にはメジャー団体のプライドがあり、Uインターにも「最強」を掲げてUWFスタイルを貫いてきた意地がある。対戦カードやその勝敗の調整は、かなり難航したに違いない。

主催側の新日としては、メインの勝ちだけはどうしても譲れない。では、髙田が敗れた場合、それに見合うUインター側のメリットは何か。

本来であればUインターの若手筆頭であった田村潔司が、新日の三銃士クラスに勝って、その後の対抗戦で目玉になるというのが理想だろう。もし田村が出場していれば、橋本か蝶野正洋に勝利するストーリーが用意されていたかもしれない。

しかし、田村が参戦を固辞したことで、これに代わって白羽の矢が立ったのが垣原だった。垣原は対抗戦前の5月に、強豪外国人のゲーリー・オブライトに勝利するなど勢いもあった。

では、その垣原の相手を務めるのは誰なのか。

“それなりの相手”が必要だった…

当時の垣原はまだデビュー5年目の23歳で、体形もジュニアクラス。Uインター旗揚げ直後の骨折による長期欠場もあって、実績や知名度で田村に劣っていた。

また、Uインターの内部では「カッキー(垣原の愛称)は人柄的には本当にいいヤツだけど実力は…」との声もあり、きっとそんな評判は新日側にも届いていたはずだ。

しかし対抗戦ビジネスを成立させるには、垣原を格上げするためにそれなりの相手が必要である。そうして選ばれたのが健介だった。

ぶっちゃけてしまえば、現場監督である長州が対抗戦を成功させるために、直弟子の健介を差し出したということである。

健介にしてみれば、同年8月の『G1クライマックス』で橋本に勝利し、これからシングルプレーヤーとしてトップを目指そうという時期。いくら師匠の命令といえども、他団体の若手に星を譲ることはよほど不本意だったろう。

長州が安生を一方的に下し、観衆のボルテージが最高潮に達したその直後、花道に姿を現した健介は普段の気合の入った姿とは異なり、場違いなほどに覇気のない表情だった。あとになって思えば、これから始まる負け戦に憤懣やる方なかったわけである。

試合は健介が体格差で圧倒しながらも、一瞬の隙を突いた垣原の膝十字固めが極まってギブアップ。これは垣原が、オブライトに勝利したときと同じフィニッシュだった。

控室に戻った健介は、大きなため息をついて「ポカした!」と連呼。「垣原はあんな勝ち方で俺を超えられると思っているのか!」と、せめてもの負け惜しみを口にしたのだった。

《文・脇本深八》

佐々木健介
PROFILE●1966年8月4日生まれ。福岡県福岡市出身。身長180センチ、体重115キロ。 得意技/ノーザンライト・ボム、ストラングル・ホールド、逆水平チョップ。

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