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歌手・あべ静江インタビュー~今年で古希! 再来年は50周年!!

あべ静江
あべ静江 (C)週刊実話Web

今年、11月で古希を迎える「しーちゃん」ことあべ静江。再来年はデビュー50周年の節目となるが、会ってみると若々しくて美しい上に相変わらずのハイトーンボイス。

目をつむると「お元気ですか? そして今でも…」の声が聞こえてきそうだ。元気の源は何か? そして〝アノ事件〟の真相にも迫った!

あべ 実は私、デビュー当時は事務所とレコード会社から喋ることを禁止されていたんです。

――それはビックリ。もともとは短大在学中から地元東海ラジオとFM愛知の人気DJだったんですよね? お喋りはむしろ専売特許だ。

あべ そうなんです。父が音楽関係の仕事をしていて、子役経験のあった私は短大に入ると同時に女優を目指してTTC(テレビタレントセンター)という放送タレントの養成学校に入りました。そこでお芝居の勉強をするつもりが、お喋りのプロを養成する学校だったんです。その延長で、アルバイト感覚で始めたのがラジオのDJ。ゲストはアンドレ・カンドレから改名したばかりの井上陽水さんなど、フォーク界の皆さんが多かったです。華やかな坂口良子ちゃん、南沙織ちゃんもデビューしたてでいらしてました。そういう皆さんをお相手にお話していましたから、お喋りはむしろ得意だったし楽しかった。

――そこに歌手デビューの話が舞い込むわけですね?

あべ もともと少女歌手をしていた時代があって、そのことを知っている方から「歌手デビューを」って。母が歌手だったので、親と同じ道には抵抗があり、歌手活動には全然興味がなかったんですが、「2年の契約が終わったら辞めていいから」と説得されて…。

デビュー前にお付き合いしていた人がいて…

1973年、『コーヒーショップで』(阿久悠作詞・三木たかし作曲)で彗星のごとくデビューしたあべは、21歳という年齢と成熟した色気で一躍人気者に。当時の彼女に対する印象は「口数の少ないお嬢様」だったが、その裏では「会話禁止令」が出されていた!?

――デビュー曲の『コーヒーショップで』はもちろん、2枚目の『みずいろの手紙』も爆発的に売れ、その年の第15回日本レコード大賞で新人賞を受賞するなど大ブレークしました。そこでなぜ〝会話禁止令〟が?

あべ 当時のアイドルが一番に求められたのは初々しさだったんです。何か聞かれてハッキリ答えただけでも、生意気だとかイメージダウンになってしまう。歌番組の台本には、私の会話はいつも3種類のみ。「はい」「ありがとうございます」「そうですね」(笑)。

――それはかなりのストレスになったでしょう?

あべ 最初は辛かった。でも、あまりに忙しすぎて寝る間もないくらいでしたから、喋らないってことは、物を考えなくていいんですよね。楽だなぁって感じるようになりました。

――おしとやかで美人の新人歌手ですから、さぞかしおモテになったのでは?

あべ それが、全然なんです。実を言うと、デビュー前からお付き合いしていた人がいて。短大時代に知り合った大学生で、私にとっては初めての恋人だったのですが、忙しすぎて歯車が合わなくなったんですね。もう無理だと思い、私の方から一方的に別れを告げました。嫌いになったわけではないので、一晩中泣き明かしました。

――当時の男性の好みは、今と違いますか?

あべ あの頃は父の仕事の関係で、周りにいるのはバンドマンばかり。痩せているのが当たり前で、そういう方に憧れましたね。今だったら趣味が合って、自由にさせてくれて、楽に生活させてくれる人かなぁ(笑)。

――バンドマンと言えば、デビュー10年目(82年)に初ロマンスが発覚。ギタリストの方との〝交際会見〟が話題になりました。会見後「私も彼と交際している」「婚約している」という女性が3人も現れて4股交際と大騒ぎになった。

あべ あれは本当に大変でした。私としては、お付き合いしていることの報告だったのに、会見場の方が勘違いして金屏風を用意してくれたため「婚約会見」と誤解されちゃいました。その後、レポーターの方は「あべ静江を騙すなんてけしからん!」と妙に私以上に怒って…。あれ以来、男性関係が面倒くさくなってしまった部分はありますね。そういったことへの思いなどを含め、5年前には初めての自叙伝『みずいろの手紙』を出したんです。

水着で歌うなんて理解できなかった…

あべ静江
あべ静江 (C)週刊実話Web

――改めてプロフィルを拝見すると、高校時代は弁論部に所属されてたんですね。

あべ はい。自分の信念を曲げるのは嫌なので、『みずいろの手紙』も最初は「歌いたくない」と抵抗したんです。ウーマンリブが叫ばれる時代に、歌詞を見た時、別れた男性に依存するタイプの女性だなと感じ、私自身がこの歌の女性のように思われるのが嫌でした。それでも周囲の大人たちに屈して歌ってしまう自分が情けなくて…泣きながらレコーディング。それが結果的に歌の世界観にマッチしちゃったみたいです(笑)。

――意外にも、信念を曲げない人でしたか。

あべ 芸能人水泳大会に出ても、絶対にビキニは着ませんでしたよ。水着で歌うなんて理解できなかったから。セクシーに見えるグラビアも、すべてお断りしていました。ところが最近、週刊誌の袋とじで再掲載のオファーが時々来るんです。一応、セクシーかなという写真が袋とじに収録されるんですけど、その前と後がヌードグラビア。袋とじが一番大人しいって、おかしいですよね?(笑)。

――近年は歌手協会の理事も務められ、「夢グループ」主催の合同コンサートも開催されていますが、コロナ禍はどうでしたか?

あべ 予定していたコンサートはほとんどが延期され、そこで手売りする予定だったミニアルバム『いちばん、好きだから』(表題曲の作詞は小池百合子都知事)も自宅に山積み状態。3曲収録されていて、デビュー曲の『コーヒーショップで』も入っています。キーもコードも変えず、フォークギターメインでテンポをスローにしたアコースティックバージョンなのですが、切なく仕上がっていて、ファンの方にとても評判がいいんです。今度、私のホームページを通じて入手できるようにしますので、応援よろしくお願いします。それと、50周年の再来年は地元の三重・松阪で記念ライブをするのが目下の目標です。

――最後に、同年代の読者は驚くかもしれない、ゲーマーぶりを教えてください。

あべ ゲーム機を持ち歩くのはもちろん、SNSの更新も頻繁に行っています。誰かに教わるのではなく、全部自分で覚えました。好奇心が旺盛なので、おひとりさまが寂しいなんて思う暇はないですね。それが元気の秘訣かな。70歳までには少林寺拳法を始めようと思っているんですよ!

あべ静江◆あべしずえ 1951年11月28日生まれ。
YouTube『しーチャンネル』を今年3月に開設。
ツイッター@abeshizue
アメブロhttps://ameblo.jp/abe-shizue/
Facebook Instagramも。

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