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石原軍団のスゴい気配りに感動~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

芸人になって売れたら、幼い頃から映画やテレビで見ていた人と仕事で一緒になることがありました。

中でも、石原裕次郎さんと初対面の時は緊張しましたね。お会いできるなんて夢にも思わなかった人ですから。

裕次郎さんが主演の刑事ドラマ『西部警察』。広島で電車を爆破する回があって、俺が広島出身という縁でB&Bがゲスト出演したんです。ドラマ撮影の合間の待ち時間に、スタッフから「裕次郎さんがお呼びです」と言われてね。

ガチガチになって「今日はお世話になります」と挨拶したら、裕次郎さんが「そこに座れば。コーヒーでも飲む?」と聞かれましてね。当時、俺はコーヒーを飲まなかったんだけど、裕次郎さんに勧められたら断れないでしょ。「いただきます」と言うと、後ろに立っていた渡哲也さんがコーヒーを運んできてくれたんです。

裕次郎さんからは「君たちの漫才は面白いね」と褒められましてね。まさか裕次郎さんが俺たちのことを知っているなんて思ってもいなかったから「知ってはるんですか?」と聞き返したものです。また俺らがコーヒーを飲み干すと、裕次郎さんが「てっちゃん、コーヒー」って、渡さんにお代わりを指示するんですよ。

結局、待ち時間は2時間半あって、目の前には裕次郎さん、その後ろに渡さんが立っていて、緊張しながら苦手なコーヒーを7杯も飲みました。

こんなところで漫才させてごめんね

無事に撮影が終わると食事会が開かれ、「今度、石原プロの忘年会があるからゲストで来てくれない?」とオファーされた。同じ業界だから当然ノーギャラだろうなと思っていたら、後日、石原プロから「今度、石和温泉での忘年会に出演してください。つきましてはギャラもお支払いします」と連絡があったんです。「ギャラは受け取れません」と何度か断ったんですけど、「きちんと払います」と譲ってくれない。結局、忘年会の仕事を引き受けることになったんです。

当日、会場へ行くと、大きな畳の部屋に裕次郎さんをはじめとする石原軍団やドラマスタッフら総勢200人以上がいました。畳が1メートルくらい高くなっているところがあって、その上で漫才をしましたよ。俺らは翌日に朝早い仕事が入っていたから、その日のうちに東京へ戻ることになっていた。すると、渡さんが俺らのところへ来て祝儀袋を渡すのよ。「ギャラはいただいていますので、受け取れません」と断ると、「これはこれだから。それにこんなところで漫才させてごめんね」。本当に気配りがすごいなと感じましたね。

その後、裕次郎さんが大手術で退院された時期、ご自宅に「病を召し捕る」の文字を入れた宮島の伝統工芸品のしゃもじを持って行ったことがあった。

インターホンを押すと、奥さんが出て来て「主人は検査で病院に行っていないのよ。忙しいのに、こんな素敵なものを持ってきてくれてありがとう。ちょっと上がって、ご飯でも食べていってください」と招き入れてくれました。マネジャーと2人でお邪魔すると、紅鮭を焼いて出してくれてね。メチャクチャうまかったのを覚えています。

いまの芸能界ではいないスーパースター・石原裕次郎さんに会えたことは、とても嬉しかったですね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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