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工藤会(五代目工藤會)野村悟総裁に死刑判決!2019年本誌独占掲載の「獄中手記」①アメリカも認める最凶組織

工藤會・野村悟総裁 (C)週刊実話 無断転載禁止 
工藤會・野村悟総裁 (C)週刊実話 無断転載禁止

 我が国で唯一、「特定危険指定暴力団」に指定されている工藤会(五代目工藤會・福岡)の野村悟総裁に死刑判決が下された。

本誌『週刊実話』では、野村総裁が起訴された殺人事件などの初公判が開かれた2019年の10月に、「獄中手記」を独占掲載していた。 野村総裁が、これまで明かすことのなかった胸中を初めて綴った手記を、今回の判決を機に改めて公開する。

朝7時20分。起床を知らせる音楽が鳴り、布団を上げて着替えると、点呼のために刑務官がやってくる。

「○○番、野村悟」

私は、各収容者に付けられた呼称番号と名前を刑務官に答える。それからしばらくは、また誰とも話さない時間が続く。

逮捕されてから、ずっと接見禁止処分を受けている私は、刑務官と打ち合わせにやってくる弁護人以外には、まず誰とも話すことはない。午前8時の朝食、正午の昼食、午後4時の夕食。その間に弁護人との打ち合わせ、15分ほどの入浴や運動の時間があり、消灯は夜9時。あとは自分の年齢の数だけのスクワット運動をする以外、読書をして過ごしている。

これが逮捕以来5年あまり続いている私の日常だ。

こうした拘禁生活では、普通は失語症や拘禁ノイローゼ、運動不足による腰痛などの症状が出るというが、おかげさまで今のところは至って健康である。

シャバにいた頃も、毎朝1時間ほど山歩きをして汗をかいていたので、筋肉もまあまあついていて、体力には問題ない…と思うことにしている。

稼業入りは26か27歳と遅めだった

これまで、自分のことや組織について話したことはほとんどない。裏街道を行くヤクザがあれこれしゃべるのはおこがましい――私はずっとそう思ってきたから。だが、ある弁護士から、執筆を勧められたのである。

「野村さんのように一度も代紋を替えていないヤクザはめずらしいし、ましてや工藤會はアメリカも認める最凶組織でしょう。今回の裁判は多くの人が注目している。自身とともに、工藤玄治初代からの小倉のヤクザについて記録を残しておいてはどうか」

こう言われて、それもそうだなと考え直した。だが、「最凶ヤクザ」は心外と言うしかない。

確かに我ら工藤會(Kudo-kai)は、アメリカ財務省から「the most violent yakuza syndicate」(最も凶悪なヤクザ組織)と名指しされたと聞いている。だが、テレビや新聞が「工藤會のしわざか?」と騒ぐ事件のほとんどは工藤會の事件ではないし、「99%が有罪」といわれる日本の裁判で、工藤會の組員たちは無罪判決もけっこう受けている。

とはいえ工藤會の歴史をずっと見てきたのだから、あれこれと書くのも意外におもしろいかもしれない。そう思ってペンを執ってみることにした。

なにしろ時間はたっぷりあるし、これからも、この接見禁止状態が続くのだ。

「裁判が終わるまで家族とは会わせないよ。弁護士以外の顔は見させないから」

起訴が決まった時、取り調べの担当検事からこう言われ、私は、「ああ」とだけ答えた。平成26年9月11日に逮捕され、しばらくは取り調べを受け、平成29年10月から脱税事件の公判廷にも出廷しているが、基本的に「接禁中」であり、独房で過ごしている。

否認を貫いているのだから、もとより接見禁止は想定内である。

だが、そもそも接見禁止処分とは、証拠隠滅や口裏合わせのおそれがある場合になされるものだ。起訴内容を否認したとしていても、普通は捜査が終了するか、あるいは初公判が終わればとかれるものではないのか。

「ま、それだけ野村さんが大物ということですよ。我慢してください」

弁護人は、表情を変えずにこう言った。弁護人の言うとおり、しかたないことなのだろう。

思えば稼業入りは26か27歳と遅めではあったが、ガキの頃からずっといろんなことをしでかしては、突っ走ってきた私である。古希を迎え、立ち止まってゆっくり考える時間も与えられるようになったということかもしれない。

工藤會・野村悟総裁「獄中手記」②に続く

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