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女優・岸田今日子“リーのみ嫌いの華麗なるツワモノ”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

岸田今日子
岸田今日子 (C)週刊実話Web

劇作家で文学座創設者の岸田國士、翻訳家の岸田秋子夫妻の次女として生まれた岸田今日子。

1960年、三島由紀夫演出の『サロメ』で主役に抜擢されて以来、数多くの舞台で大役、難役をこなす。映画では62年に『破戒』などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、64年には『砂の女』でブルーリボン助演女優賞を受賞して、実力派女優としての地位を確立した。

63年、芥川比呂志、小池朝雄、神山繁、山﨑努らと共に文学座を脱退。「劇団雲」を経て75年には「演劇集団 円」の設立に参加し、『壊れた風景』『うしろの正面だあれ』『トラップ・ストリート』など、別役実の書き下ろし作品に出演。その後もテレビ、映画出演と並行し、舞台女優として第一線で活躍を続けた。

近寄りがたい妖艶さを見せる一方、ユーモラスな役もこなす硬軟自在の演技は若い頃から評価が高く、その存在感から〝怪優〟と称されたこともあった。

私、灘麻太郎が岸田に初めて会ったのは、70年代の後半であった。彼女からは麻雀の話をいろいろと聞いている。

灘「麻雀がお好きという評判ですが、何年ぐらい打たれているんですか?」

岸田「かれこれ、13年ぐらいかしら…」

灘「チー、ポンの食い麻雀は嫌いだそうですね」

岸田「リーチのみ、タンヤオのみなんて、やったことがないんです。役づくりに麻雀の醍醐味を感じるほうで、だからどうしても浮き沈みの激しいエレベーター麻雀になりますけど…」

“女は怖い”華麗なる逆転劇

この出会いがあってから1年後、ある出版社が主催する麻雀大会で岸田と再会した。半チャン4回戦で、その合計得点の多い者が優勝となるのだが、こうした大会で私はあまりガツガツ打たない。適当に流して、まずまずの位置にいるのが常道である。

3回戦が終わって、トップは当時の人気キャスター、栗原玲児。そして、4回戦のメンバーは栗原、岸田、灘、そして編集者Aの4人となった。

オーラス、親の岸田の配牌は一九字牌が6種7牌。第一打、八索。南ツモで二索と切り落とし、チャンタの決め打ちに出た。そして10巡目には、ドラ西タンキでトップ逆転の手にまで仕上げている。リーチでツモなら親っパネだ。

オーラスで9800点マイナスという局面では、親とはいえ勝負を投げてしまいたくなるような配牌。しかし、役づくり主体の岸田には、諦めるという言葉はないようだ。逆に点数が沈んでいればいるほど、役づくりに没頭できるようである。

オーラスでトップを走っていたのは栗原だった。彼はすでに中をポンして、逃げ込み態勢に入っていた。案の定、栗原は六萬ポンでテンパイした様子だ。

「栗原さん…」

と、その時に岸田があの声で、ねっとりと言ったのである。

「まさか1000点でお逃げになるんじゃないでしょうねぇ…」

私は知らぬふりをしながら、栗原の様子をうかがうと…彼は明らかに動揺している。逃げて卑怯者呼ばわりされるのは嫌なようだ。

すると、栗原の指が六索をつまんで切り出した。両面待ちを諦めて、手をトイトイへ移行させていったのである。これを見て岸田が七索を切り出しリーチ。

栗原は、しまったという表情…。やはり四、七索の待ちを五索と何かのシャンポンに変更していたのだ。

「小次郎、敗れたり!」

女は怖いという一場面である。

自分を偽っていくのはやめよう

ある時、岸田は娘に「お父さん(俳優の仲谷昇。54年に結婚、78年に離婚)と、お母さんは仲が悪いの?」と聞かれて、「おしどり夫婦などと世間からは言われて、人様の前に出ているけど、もうそうやって自分を偽っていくのはやめよう」と決意したという。

岸田は、娘に自分の仕事を理解してもらおうと、アニメ『ムーミン』の仕事を受け、世間の子供たちにその声が愛されるようになった。収録スタジオには、いつも娘を連れて行って見せていたという。

独特の声と情感豊かな表現力により、岸田はナレーターとしても他に得がたい存在となり、ドキュメンタリーからバラエティーまで幅広く起用された。

また、岸田は著作も多く、エッセイから翻訳など幅広い分野で健筆を振るった。特に児童文学や童話については造詣が深く、所属する「演劇集団 円」では、幼児にも楽しめる舞台「円・こどもステージ」の企画を担当していた。

2006年12月17日、岸田は脳腫瘍による呼吸不全のため東京都内の病院で死去。同月にNHK-BS2で放送された『ミス・マープル』シリーズの主人公ミス・マープルの吹き替えを担当しており、放送と前後して他界したため、これが遺作となった。

(文中敬称略)

岸田今日子(きしだ・きょうこ)
1930(昭和5)年生まれ~2006(平成18)年没。50年に文学座『キティ颱風(たいふう)』で初舞台。53年に『にごりえ』の端役で映画デビュー。舞台を中心に、幅広い芸域を持つ女優として活躍した。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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