本好きのリビドー/悦楽の1冊~『浅草迄』(河出書房新社刊:北野武 本体価格1300円)

表題作『浅草迄』の〝迄〟に注目だ。

文字通りそこに至る過程、というわけで、主たる舞台は従前から著者がさまざまな形で繰り返し語ってきた、芸人・ビートたけしを生み育んだ〝聖なる悪場所〟としての浅草ではない。人間・北野武の基礎が形成された誕生の地、足立区こそがもはや一種〝約束の土地〟じみて臭気と光輝をともに帯びた、本書の裏の主役なのではないか。

かつて三遊亭円丈が新作落語「悲しみは埼玉に向けて」でのマクラで、自らも住まう足立区、特に北千住の哀しさを〝日本の平壌、北千住。埼玉の隠し玄関、北千住。群馬の物置、北千住〟と散々に形容したものだが、映画『翔んで埼玉』の大ヒットで最近、完全に負のイメージを払拭したかの同県と違い、いくら北千住駅周辺が派手に繁華になろうと足立全体の印象はまだまだ変わらない。

高度経済成長を横目に揉まれていった“少年・北野武”

曰く足立区の治安は実はガザ地区より悪い(解散した漫才コンビ『デスペラード』のネタ)、曰く区民の尿酸値は高く学力は低い、曰く23区中で最も停電になりやすい、曰く所得水準の平均が港区904万円で足立区が323万円(あくまで8年前の総務省調べによるものとはいえ)…そんな環境で、いかに戦後すぐ生まれの少年・武が高度経済成長を横目に揉まれていったのか?

中上健次における紀州・新宮が、あるいは野呂邦暢における長崎・諫早がそうであるように、作家にとってのっぴきならぬ土地、空間との関係は傑れた文学作品を発酵させる祝福の土壌。小説家北野武にとってのそれが収録の「足立区島根町」なのは間違いなさそうだ。

息子が明大工学部に合格したのを確かめ「今日はカレーにしよう」と台所に向かう母の姿が切ない。「どんな時代だかわかると思う」。

(黒椿椿十郎/文芸評論家)