2007年に大学生・社会人ドラフト3位でオリックスに入団した小瀬浩之は、巧打の外野手で1年目から一軍の試合に出場。その才能から「イチロー二世」の呼び声があったほどのスター候補生だった。
しかし、10年2月5日、小瀬は春季キャンプで滞在していた沖縄県内のホテル10階から転落死しているところを発見された。遺書などはなく、その死因は現在でも不明である。
選手としても順調で、私生活では結婚したばかり。愛されるキャラクターで、人間関係でのトラブルなども聞かれず、球団関係者は揃って首を傾げた。
ただ、気になるのは、亡くなった当日、小瀬が深刻な表情で長電話している姿を目撃されていることで、その後はあまり元気がなかったという証言が残されている。
15年、当時の同僚で、小瀬と親しかった大引啓次(現・東京ヤクルト)は、チームがリーグ優勝を果たした際、ビールかけで小瀬のユニフォームを着用して勝利の美酒をチームメイトと分かち合っていた。このエピソードが物語るように、万人に愛されるキャラクターだった小瀬の死は、ファンや球界に今も衝撃を残している。
なぜ彼は自殺してしまったのか。それとも転落による事故死だったのか。真相が明らかになる日は来るのだろうか。
打球が胸に直撃して30分後に死亡
長年のプロ野球ファンだとしても、宇佐美和雄という名前を覚えている人はそうそういないだろう。
宇佐美は、木更津中央高校から1968年に西鉄ライオンズにドラフト3位で入団した投手だ(ちなみに、この年の1位指名選手は東尾修である)。
当時、1位の東尾、2位の乗替寿好と共に〝西鉄三羽烏〟と呼ばれていた。
しかし、宇佐美はほとんど写真すら残っていない幻の選手になってしまった。
プロ1年目の開幕をあと1カ月に控えた69年3月。雨天練習場において、同僚選手が放った打球が宇佐美の左胸を直撃。入団したてのルーキーは、気丈にも自らの足で出口まで歩いたものの、その場で再び倒れてしまった。
懸命な応急処置もむなしく、宇佐美は外傷性ショックで30分後に死亡した。
享年18。憧れのプロ野球に入団して、わずか数カ月で非業の死を遂げてしまったのだ。
呪われたプロ野球選手③に続く
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