芸能

岡田有希子さん、若者の“連鎖自殺”を引き起こした不幸の連鎖【芸能人衝撃の自殺③】

岡田有希子さん
岡田有希子さん(C)週刊実話Web

芸能史上、最も衝撃的な自殺として、岡田有希子さんの例を挙げる人は少なくない。

人気絶頂だった1986年、所属事務所が入居しているビルから飛び降り自殺をして、世間にとてつもない衝撃を与えたのである。

岡田さんの死は、その時代背景から多くの社会的な影響を及ぼした。

まず当時、東京・四谷にあったビルに、警察よりも先にマスコミが到着。これによって、報道番組やワイドショーで、岡田さんの遺体の映像がそのまま放送されることになってしまったのだ。現在では考えられないモラルだが、当時はこれがまかり通っていた。

また、飛び降り自殺の直後、「飛び散った遺体の一部をファンが現場から持ち帰った」という都市伝説まで生まれた。

テレビでは遺体の映像が何度も流され、岡田さんの死がリアルに伝わる中で、彼女のファン層である若者世代の後追い自殺が相次ぐようになる。こうした現象は「ユッコシンドローム」と呼ばれ、当時の報道によれば30〜40人もの若者が自ら命を絶ったという。

多くの後追い自殺が出た原因には、若者の自殺がクローズアップされつつあった時代背景もあったと言われている。当時は中学校で、日本で初めてとされる〝いじめ自殺〟が報道された頃で、死を選ぶ若者が増え始めていたのだ。このため、不幸な〝連鎖〟がしばらく続いたものと考えられている。

“名言”を遺して飛び降りた沖雅也さん

岡田さんが亡くなる3年前の1983年6月28日にも、『太陽にほえろ!』のスコッチ刑事役などで人気を博した俳優の沖雅也さんが、東京・新宿の京王プラザホテルから飛び降り自殺していた。

部屋の備え付けのメモに遺書があり、そこには「おやじ 涅槃で待ってる」と綴られていた。この印象的な文言は、現在でも遺書の象徴として扱われている。

この「おやじ」とは実父ではなく、養父で所属事務所社長を務めていたH氏のことである。荒んだ少年時代を過ごした沖さんは、家出同然で上京して職を転々としていたが、H氏と出会ったことで俳優として開花していた。

そのH氏も、2015年にこの世を去っている。果たして、涅槃で沖さんと会えたのだろうか。

芸能人衝撃の自殺④に続く

あわせて読みたい