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俳優・長門裕之“日活ナンバーワンの天才的実力者”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

長門裕之
長門裕之 (C)週刊実話Web

映画一家(祖父・牧野省三、父・澤村國太郎、母・マキノ智子、叔父・加東大介、叔母・沢村貞子、弟・津川雅彦)に生まれ育った長門裕之は、血筋のよさも手伝って名子役として注目を集めた。

1940年7月、6歳の頃に片岡千恵蔵主演の『続清水港』でデビュー。続いて嵐寛寿郎や阪東妻三郎の映画にも起用された。なんと、太平洋戦争開戦前の話である。

学生時代は俳優業を一時休業していたが、55年に立命館大学を中退して日活に入社。翌年には青春スターとして売り出され、太陽族映画の第1弾となる『太陽の季節』(石原慎太郎の小説が原作)に主演する。長門は奔放で破滅的な生きざまの青年を好演したものの、皮肉なことに、たまたま俳優として起用された石原裕次郎、弟の津川雅彦などに人気を奪われてしまう。

しかし、その一方で長門は、今村昌平監督と組んだ59年の『にあんちゃん』と、61年の『豚と軍艦』で評価を高め、演技派として頭角を現した。

さて、長門の麻雀についてだが、両親そろって無類の麻雀好き。しかも、片岡千恵蔵や花柳小菊たちと連日のように卓を囲んでおり、長門はほんの小さい頃から、母親のそばにピタリとくっついて麻雀の何たるかを見ていたという。

母親はいつも大島の着物を着ていて、それに白い足袋を履いていた。マージャンをやっているときは足をそろえて坐っているわけだから、長門は眠くなると母親の足袋の裏側に頭を乗せ、ちょうどお尻のところに顔を埋めて寝るのが習慣だったと、私に話してくれたことがある。

ガラガラという牌の音、大島の匂い、とても寝心地がよかったと…。

このように麻雀の英才教育を受けただけあって、長門の強さは群を抜いていた。当時の日活は、2歳年上の葉山良二が長らく麻雀ナンバーワンの座にいたが、長門があっという間に葉山を抜き去ってしまったという。

圧倒的な攻撃力でねじ伏せる

長門の雀風を一言で表現するなら、徹底した攻め麻雀である。一般的に攻めの強い麻雀は、強気一辺倒で守りに弱いとされているが、これは二流以下の打ち手の場合で、長門クラスには当てはまらない。

攻めが強いということは、裏を返せば読みが鋭く、的確であることにつながる。相手の手の内(待ち牌)を読みきり、当たりと判断した牌以外は迷うことなく切り落としていく。何通りもの待ちを想定するのではなく、1点か、せいぜい2点に絞り込む。瞬時にこれができないと守勢に回らざるを得なくなり、アガりの好機を逸することになる。

長門は天才的な読みの鋭さを持っていたため、圧倒的な攻撃力で他家をねじ伏せることができた。

また、長門は決して手に惚れたり、溺れたりすることがない。三色にこだわるとか、役満の完成に夢を抱くこともない。目先の1000点、2000点をしっかりとアガる。彼の身上は、常に精神的余裕を持って闘うことにある。

かつて、私も長門家で遊んでいたのだが、ある日、叔父の加東大介が顔を出し、長門が説教されるところを見てしまった。

「おまえは役者なのか、それとも麻雀プロなのか」

これを機に、私は長門家に顔を出すのをやめてしまった…。

72年、ある週刊誌の企画で長門との誌上対局が組まれ、5年ぶりの麻雀となった。お互い電話番号は知っていたのだが、あえて連絡をしなかったのだ。

長門「当然、麻雀はやってますよね」

灘「ええ、でも、仕事以外ではサンマ(三人麻雀)ばかりです。阿佐田哲也、ムツゴロウ、五味康祐などと打つのですが、簡単に大物手ができるし、面倒くさくなくて楽しいんですよ」

長門「よさそうですねえ、サンマ。家でもルール変えようかな。僕にも教えてくださいよ」

強者のみが集う麻雀ルーム

ということで、この時にルールを教えたのだが、これに萩本欽一が手を加えた。普通のサンマは一翻しばりなのだが、二翻しばりでなければアガれないというのがミソ。

リーチのみの手はダメなので、より大きなアガりに持っていき、手づくりも楽しもうというルールに仕上がった。

「今日は、いいメンバーがそろったから、ぜひ遊びにきてください…」

ときどき長門から電話がかかってくる。かくして、私の長門家通いも復活することになった。

長門家には、地下3階に専用の麻雀ルームがある。2組の雀卓が置かれていて、別室には花札とかトランプのゲーム類もあり、バス、トイレも完備されている。

面白いことに、長門家では打ち手が4人いてもサンマを行う。夫人の南田洋子も卓に加わるときがあるが、夫婦で同卓することはない。2卓立つこともあるが、ルールは必ずサンマと決まっている。

長門家を訪れる麻雀客は、おのずと限定される。雀力が飛び抜けているうえに、経済的な余裕がないと太刀打ちできない。一時期、麻雀プロの古川凱章も遊びにきていたが、「僕にはもう声をかけないでください」と言って帰ったと聞く。

長門家の麻雀ルームは、環境としてはまさに天国。ただし、負けた場合はその逆にもなり得る恐ろしい場所でもあった。

(文中敬称略)

長門裕之(ながと・ひろゆき)
1934(昭和9)年1月10日生まれ~2011(平成23)年5月21日没。6歳から子役として鳴らし、戦後は日活に入社。61年に女優の南田洋子と結婚した後は、ドラマ、バラエティーでも活躍した。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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