東京・千石にあった三百人劇場が姿を消して久しいが、いまだに忘れ難い。
今なお耳に味わい深い、亡き古今亭志ん朝の独演会を収めたアルバムは数ある落語CDの中でも圧倒的な人気を誇る。だがあえてクラシックファンじみた言い方をすれば、同じ演目でもやはり屈指の完成度と評するほかない絶頂期の高座ぶりは、三百人劇場で録音のものに集中する気がしてならない。
また芝居の公演時以外は渋い名画座としての役割も果たし、ハリウッド黄金期の名作はもちろん川島雄三から深作欣二まで邦画の監督特集を意欲的に組んでくれたのも、少年期のいい思い出だ。その劇場の産みの親こそ、福田恆存だったと知るのは遙か後年のこと。
折り目正しい日本語を堪能したい向きは是非
シェイクスピアの翻訳をはじめとする英文学者で、現在も上演される『解ってたまるか!』を含め多くの作品を残した劇作家兼演出家であると同時に、孤高の批評家としてその名が記憶される彼。徹底して旧仮名遣いを貫き通し、『私の國語敎室』で国語改革と戦後教育の歪みに鋭く一石を投じたかと思えば、政治情勢を巡ってはいわゆる進歩的文化人=左派陣営のみならず保守派の論客に対しても、容赦ない批判の刃を浴びせた気骨ある言論人の面影が、本書を通じて多角的に浮かび上がるだろう。
著者の晩年に文藝春秋から刊行の全集各巻に添えられた『覚書』と、円熟期の評論集に付された『後書』をまとめた内容だが特に前者は自伝的色彩が濃く、加えて文壇・論壇・劇団の楽屋話的な側面も覗けて面白い。祖父や伯父が揃って職人の家系に生まれた彼だからこそ、平田雅哉の『大工一代』や斎藤隆介『職人衆昔ばなし』に懇篤な序文を寄せたのかも知れない。折り目正しい日本語を堪能したい向きは是非。
(居島一平/芸人)
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