橋本真也「時は来た! それだけだ…」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

数ある東京ドーム大会の中でも〝最高〟と評される『1990スーパーファイトin闘強導夢』は、リング上の闘いだけでなく、多くの名言が誕生したことでも語り継がれている。

前回で取り上げたアントニオ猪木の「出る前に負けることを考えるバカがいるかよ!」の直後、対戦相手の橋本真也が発した言葉が、「時は来た! それだけだ…」である。テレビのバラエティー番組などで取り上げられたこともあって、近年はプロレスファン以外にまで〝珍場面〟として認識されているようだが、しかし、その発言の真意は決して笑われるようなものではなかった。

猪木&坂口征二と橋本&蝶野正洋がタッグマッチで激突した1990年2月10日の『1990スーパーファイトin闘強導夢』だが、当初はリック・フレアーvsグレート・ムタがメインイベントとして発表されていた。武藤敬司がWCWにおいて、ヒールレスラーのムタとして人気を博していたことを受けて、アメリカでのドル箱カードであるフレアー戦を丸ごと輸入しようという試みであったが、これが直前に白紙となってしまう。

当初の予定を変更したカード

同年4月に同じ東京ドームで開催する全日本プロレスとWWF(現WWE)の合同興行『日米レスリングサミット』に、新日本も共催として参画することが発表されたことで、当時のWWFと熾烈な興行合戦を繰り広げていたWCWが、フレアーの派遣を中止したというのが一応の定説とされている。

ただし、契約にうるさいアメリカの会社が簡単にこれを反故にするというのも考えづらく、また、この東京ドーム大会以降も新日本とWCWの提携関係が続いていることからも、フレアーvsムタの反響が今ひとつであったため、新日側が主体的にカード変更したとする説もある(事実、フレアーに代わって全日勢の参戦が発表されるまで、チケットの売れ行きは滞っていたと言われる)。

そして橋本と蝶野も、当初は両者の一騎打ちが予定されていた。89年にそれぞれ凱旋帰国していた両者は、出世争い的な抗争を繰り広げており、その決着戦という意味合いの一戦である。しかし、フレアーの来日中止が発表される前後になって、橋本が「猪木さんと闘いたい」と言い出すと、蝶野も「猪木さんとやるのは俺だ」と反発。そんな2人の意向をくみ取る格好で、猪木&坂口の黄金タッグとの対戦ということに話がまとまった。

前年の5月以来、リングを離れていた猪木の試合を目玉とする意図で組まれたカードには違いないが、それでも橋本と蝶野にとっては〝猪木越え〟に加えて、どちらがこの試合でファンにアピールし、次期エースに名乗りを上げるか、つまり、〝お互いの勝負〟というテーマも存在していた。

そうした経緯からすると「時は来た!」という言葉は、まったく的外れではなかったはずなのだが、それがなぜ、珍場面となってしまったのか?

まず、2人にとって予想外だったのが「試合前のレポートが先に猪木の控室で行われたことだった」と、蝶野は当時を振り返り語っている。当然、格下である自分たちが先にインタビューを受けるものと思い、ひと暴れしてアナウンサーを追い返すようなプランを練っていたところ、猪木が先に「出てけ! コラ!」とアナウンサーに張り手をかましたことで、2人はすっかり慌ててしまった。

それでも蝶野は「潰すぞ、今日はオラ、よく見とけよ、オラ!」と息巻いてみせたが、橋本は吐き捨てるように「時は来た!」と言うと、あっさり「それだけだ…」と話を終えてしまった。隣で聞いていた蝶野としては、橋本が「時は来た!」に続けて、もっと激しく「猪木、待ってろ!」「絶対に倒してやる!」などと威勢のいいセリフを叫ぶと思っていたのだろう。

猪木がインタビューで暴走した理由とは…

ところが、橋本が「それだけだ…」と力なく締めてしまったことで、思わず吹き出しそうになり、それをこらえる姿がバッチリとカメラに収められてしまった。また、橋本もすぐに後ろを向くのだが、改めて映像を確認すると、その瞬間は笑っているようにも見える。

では、なぜ猪木はインタビューで暴走したのか?

まず猪木にしてみれば、ジャイアント馬場が送り込んだ全日本勢が、新日本のリングで大歓声を浴びること自体、気に入らなかったのだろう。そして、目前のセミファイナルで行われた北尾光司のデビュー戦が、失笑ものの凡戦に終わったことで、さらに怒りが増幅した可能性がありそうだ。

これによって橋本の気迫が削がれたのだとすれば、「時は来た!」の〝笑撃〟は、北尾の凡戦がもたらした一種の〝もらい事故〟であったと言えるかもしれない。