二階堂進が首相にして佐藤派の領袖でもあった佐藤栄作にうとまれ、その反動も手伝って同派最高幹部だった田中角栄に接近したのは、昭和40(1965)年6月ごろ、第1次佐藤内閣の改造直後であった。
田中はこの改造を機に、その前の池田(勇人)内閣から続いていた大蔵大臣から自民党幹事長になった。このとき、田中から筆頭副幹事長に指名されたのが二階堂である。時に、二階堂の大きな〝役割〟は、田中の意向を受け、選挙の際に各地の候補者を訪ね、人目のつかぬところで資金の包みを渡すことであった。
さて、田中のカネの使い方のうまさは、当時からじつに見事なもので、今日では伝説化している。
要は、カネというものは魔物である。生きる使い方もあるが、場合によっては〝死にガネ〟にもなる。田中は自分が苦労人だっただけに、人の心の移ろいが分かった。人間はカネの助けを受けるとありがたく思う一方で、じつはつらいということを知り抜いていた。
ために、田中は候補者などへ渡すカネでも、持っていく秘書などに「いいか、これは心して渡せ。絶対に、こちらからやるという姿勢で渡してはいけない。もらっていただくということで、頭を低くして渡すことだ。もらうほうは助かるが、一方でどれだけ傷ついているかが分からんでどうする」と、噛んで含めるように言い置いた。結果、これが生きたカネになり、田中の強大な人脈構築につながっていったのである。
こうした「田中とカネ」について、筆頭副幹事長時代は「カネを配るために山の中まで使い走りをさせられた」とぼやいた二階堂だが、後年、改めて次のように述懐していた。
全国の政治人脈を漏らさずつかんでいた田中角栄
「田中さんは金権の権化のように言われたが、人間的魅力にあふれていて、多くの人が『田中からのカネなら』と言って受け取ってくれたものです。参院議長だった河野謙三(河野太郎行革相の大叔父)さんも国会対策費を持っていくと、『田中が好きだからもらっておくよ』と言ってくれた。僕が持っていったのだから、間違いのない話だ。
また、こうしたことがやがて全国の人脈ネットワークとなり、〝選挙の神様〟と呼ばれた田中をつくりあげた。各地の選挙事情に通じ、どのボタンを押せばどのブザーが鳴るのか、北海道から九州まで全国の政治人脈を漏らさずつかんでいた。昭和57年の総裁選では、僕が知っていなければいけない鹿児島の選挙区で人の名前を挙げ、『これに電話したか』と言ってきた。『いや…』と答えると『何をしているのか』と怒られたね。とにかく、全国各地の人間関係には詳しかった」(『文藝春秋』平成28年8月臨時増刊号)
一方で、田中幹事長-二階堂筆頭副幹事長時代のカネについては、自民党本部の幹事長室長だった奥島貞雄の証言もある。
「田中幹事長は勘がよく、訪ねてきたその人物が単に話をしに来ただけなのか、カネの無心に来たのかをすぐ察していた。当時、幹事長の机の下には小さな金庫が置かれ、20万~30万円ずつ封筒に小分けした現金が入っていた。常時400万~500万円ほどは保管しており、外遊に出かける議員などが小遣いをせびりにやって来ると、『よっしゃ』『分かった』で相手の話半分、そのたびに封筒を渡していたものです。
また、こんなこともあった。机の上に厚さ5センチほど1万円の札束を置き(※約500万円)、われわれに包み方を実演して見せたのです。まず、模造紙のような茶色の紙を拡げて包む。ここまでは何の変哲もなかったが、包み終わると、角ばった包みの四隅を机の上でトントンと叩いて丸くするんです。それをズボンの左右のポケットに1つずつ入れると、札束が入っているようには見えなかった」(『新潮45』平成22年7月号)
5年半にわたって“冷や飯”を食わされることに…
ちなみに、二階堂は先に加えてこうも言っている。
「田中さんのことを『コンピューター付きブルドーザー』と最初に言ったのは、じつは僕だった。とにかく記憶力抜群で、10年も20年も前のあらゆることをよく憶えていたくらいだから」
こうして二階堂は、田中が熾烈な福田赳夫との「角福戦争」を勝ち上がって首相の座に就くと、田中内閣のスポークスマンとして官房長官の重責を任された。しかし、「今太閤」の声とともに国民の圧倒的支持を得た政権も、田中の金脈・女性問題が浮上して2年余りの短命を余儀なくされた。内閣総辞職による退陣は、昭和49年12月9日であった。
二階堂はその田中退陣の1カ月前、官房長官から自民党幹事長に代わっていた。退陣表明を代読した〝幕引き官房長官〟は、竹下登が務めた。当時の田中派担当記者が言った。
「田中とすれば、退陣がスキャンダラスなものだけに、後継政権には神経を使っていた。その後継政権によっては、自らの影響力が押え込まれる可能性を心配したからだ。そこで、党内政局をにらむために、忠臣の二階堂を幹事長として送り出したのです」
しかし、自民党は世論の風向きも考慮したうえで、田中から最も距離のある三木武夫を後継に選出した。二階堂はこの選出過程に反発したが、以後じつに5年半にわたって役職に就くこともなく、田中派内で〝冷や飯〟を食わされることになった。
二階堂は、のちに振り返って言った。
「まるで、畦道をトボトボ歩く田舎者の体だった。なんとも情けなかった5年半だった」
だが、一方で〝復権〟の機会を虎視眈々とうかがっており、それが中曽根(康弘)政権時の田中との対立につながったとも言えたのだった。
(本文中敬称略/Part4に続く)
【小林吉弥】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。最新刊に『新・田中角栄名語録』(プレジデント社)がある。
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