ファンや関係者まで「襲われる」と恐怖した〝インドの狂虎〟タイガー・ジェット・シン。
第一線から退いた今では「慈善家」としての顔も見せるが、それでもなお「何をやらかすか分からない」と思わせる。日本プロレス史における最凶悪レスラーの1人だ。
今の時代に悪役レスラーがそのイメージを保ち続けるのはなかなか困難で、何かあればすぐに〈ファン対応がすごくよかった〉〈実はいい人〉などSNSで拡散されてしまう。また、過去の悪役レスラーにしても同様で、インターネット上には隠れた「美談」が散見できる。
あの〝インドの狂虎〟タイガー・ジェット・シンでさえも、今年2月には「東日本大震災への支援活動」に対し、日本政府から感謝状を送られている。この時、シンは「(レスラーとして)49年間すごした日本は私の故郷。心は被災した人たちと共にある」と語ったというから、まったくの慈善家である。
しかし、シンの全盛期を知るファンは、そんな言動を見てもなお怖さを感じるのではないか。その推測は恐らく間違っていない。
実業家としての顔を持つシンは「プロレスラーは引退した」と語っているが、日本において明確な引退セレモニーなどは行われておらず、もし何かの機会にプロレス会場に現れることがあれば、きっと誰彼構わずに襲い掛かってくるだろう。
地元カナダでは技巧派レスラーだったシンが、新日本プロレス参戦にあたって悪役に転向したことは、今ではよく知られるエピソードだが、その変貌ぶりは並大抵のものではなかった。
スタン・ハンセンも参考にしたスタイル
1973年11月5日の「新宿・伊勢丹前でのアントニオ猪木襲撃事件」はその最たるもので、襲撃自体は新日側がシン売り出しのために仕組んだといわれるが、この時の暴れっぷりは同行した外国人レスラーが、「シンは間違いなく理性を失っていた」と後年に語ったほどだった。
新日側としては、事の顛末を「偶然目撃した」東京スポーツの記者に報じてもらえば十分だったが、あまりのシンの狂乱ぶりに目撃した通行人が110番通報したため、警察が出動して事情聴取まで受けるはめになったのは想定外だったろう。
だが、シンがそこまでやったからこそ事件は広く知れ渡り、ファンに「シンは本当に狂っているのではないか」と思わせることになった。
入場時には観客席になだれ込み、一般のファンにまで襲い掛かっていくその姿には、同時期に新日参戦していたスタン・ハンセンも驚愕し、これを参考にして「ブレーキの壊れたダンプカー」のスタイルが誕生したと語っている。
また、試合会場においてシンは常に興奮状態で、4文字のNGワードや「ハタリハタマタ」など意味不明の言葉をわめき散らしていた(「ハタリハタマタ」はインドのとある地方の言葉で「アイ・アム・キング」の意味だったと、シンは後年に語っている)。
80年代前半に『週刊少年サンデー』で連載された原作・梶原一騎、作画・原田久仁信の漫画『プロレススーパースター列伝』では、実在のレスラーたちが多分に誇張されていたが、シンに限ってはこの作中のほうが普通に話をしており、むしろ理性的ですらあった。
アントニオ猪木にとってうってつけの存在
1979年8月の『プロレス夢のオールスター戦』では、試合後に狂乱ファイトについて問われたシンが、逆に「狂っているのはおまえらだ!」と言い放ったというから、この支離滅裂ぶりには記者たちもさぞかし面食らったことだろう。
シンにファンサービスを求めることなど言語道断で、それどころかサインを求めるファンを蹴り飛ばしていたとの目撃談も聞かれる(キャリア晩年にはトップヒールの意識が薄らいだのか、サイン会を開いたり、テレビのバラエティー番組でカタコトの日本語を披露したりもしていた)。
悪役が真面目に鍛えていてはおかしいとの意識からだろう。トレーニングも決して人前で行うことはなく、ホテルの部屋などで汗を流していたという。食事などにおいてもパートナーの上田馬之助以外、関係者と同席することはまずなかった。
ロックバンド『ザ・クロマニヨンズ』の甲本ヒロトは、猪木のプロレスについて「究極のファンタジーは観る者にファンタジーとすら感じさせない」「リアルよりもリアリティーのほうがリアル」と語っているが、その猪木のライバルとして、シンはまさにうってつけの存在だった。
これほどに悪役に徹しているのであれば、逆に考えると「実業家」や「慈善家」のほうが演じている姿で、悪役のほうが本性だという可能性もある。そう思わせるだけのものが全盛時のシンには確かにあったのだ。
《文・脇本深八》
タイガー・ジェット・シン
PROFILE●1944年4月3日生まれ。インド出身。カナダ在住。身長190センチ、体重120キロ。 得意技/コブラクロー、ブレーンバスター、アルゼンチン・バックブリーカー、凶器攻撃。
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