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真夜中にやすし師匠が「3千万持ってこい」〜島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七 
島田洋七(C)週刊実話Web

横山やすし師匠は、ホンマにおもろい人でした。

『THE MANZAI』という漫才ブームを支えた番組の収録を銀座・博品館でしたことがあり、収録後、銀座のクラブで飲むことになった。すると、やすし師匠から「ホンマに漫才ブームを作ってくれてありがとうな」と突然、言われたんです。そんな褒められたことなんて一度もないから「なんでですか? 師匠」と聞き返すと、「B&Bが東京へ進出して、漫才ブームが起きたやろ。大阪の漫才を広めてくれたのはお前や」と真剣な顔で語るんです。

そして散々、飲んで楽しんで会計の際、店のママが「サインお願いします」と、やすし師匠に伝票を差し出したんです。そういう店はツケで払うことが多いですからね。師匠は素早く俺に伝票を回して「お前の名前を書け」。「名前だけでいいんですか?」と聞くと、「名前書いたら払わなあかんねん」。俺は素直にサインしましたよ。珍しく褒めるから、どうもおかしいなとは思っていたんです(笑)。

また、やすし師匠から夜中の12時半頃に電話が掛かってきたことがあった。「どないしました?」。「今、新宿で飲んどるから来い」。当時、俺は赤坂にマンションを借りていて新宿まで近かった。行こうかなと思った矢先、「お前、3000万円持ってないか?」と持ち出されましてね。「師匠、夜中に3000万持って寝ている人なんかいませんよ」と言うと、「じゃあ、3000万はいらん。20万はないか?」となった。

無茶苦茶な理屈をこねられて…

3000万円が20万円になると、ものすごく安く感じるでしょ。それで20万円を持ってやすし師匠が飲んでいる新宿の店へ行くハメになったんです。師匠には20万円渡しましたよ。てっきりそのお金で店の支払いをするのかなと思ったら、師匠は「サンキューな」と言い残し、どこかへ行ってしまった。取り残された俺は1杯だけ飲んで会計を済ませようとしたら、請求は6万5000円。師匠と友だちの分も含まれていて、結局、俺が払いましたよ。

後日、『ザ・テレビ演芸』という番組で一緒になった。「師匠、この前の20万円返してください」と切り出すと、「せこいこと言うな。3000万が20万になったんやで。タダみたいなもんやろ」と無茶苦茶な理屈をこねられてね。「今度、テレビ番組でロサンゼルスへ行って日系人の前で漫才をするねん。アメリカからドルで振り込むわ」と言い出したので「円で払ってください」とお願いすると、「今日はちょっとあれやから」とそそくさ帰ってしまった。

それから1カ月くらいして、また他の番組で会ったから、師匠に「20万返してください」と半分冗談で言ったんです。そうしたら「今度、韓国行くねん。向こうからウォンで払うわ。ウォンで」。「ウォンとか、ドルとかどうでもいいですから返してくださいよ」と泣きを入れると、またまた「せこいやっちゃな」と逃げられました。

結局、お金は返してもらえませんでしたけど、20万円は惜しいと思いません。だって、ネタとして何度も使わせてもらいましたから。あんな大スターのネタを20万で買ったと思えば、安いもんでしょ。

やすし師匠は純粋で駆け引きなし。大好きでした。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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