豊臣秀吉と秀長は父親が違う? 大政所が語らなかった"もう一人の夫"の存在

『豊臣兄弟!』インスタグラムより

現在放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(毎週日曜夜8時〜)。主人公・豊臣秀長(仲野太賀)と兄・秀吉(池松壮亮)の兄弟の絆が人気を呼んでいるが、実はこの「兄弟」、本当に父親が同じだったのか、今なお歴史研究者の間で議論が続いているという。

「父母の名もわからない」…家臣すら知らなかった天下人の素性

秀吉の直臣で軍師・竹中半兵衛の息子・竹中重門が記した伝記『豊鑑』には、驚くべき一節がある。

秀吉の素性について「中村郷の下層民の子であり、父母の名前もたれか知らむ」と書き残されているのだ。秀吉が亡くなる6年前まで母・大政所は存命だったにもかかわらず、である。

通説では、秀吉の父は足軽の木下弥右衛門とされ、弥右衛門の死後に大政所が竹阿弥(筑阿弥)と再婚、その竹阿弥との間に生まれたのが秀長と妹・朝日だという。つまり「秀吉と秀長は異父兄弟」という理解が長く広まってきた。

「しかし、この通説の根拠となる『太閤素生記』は、江戸時代初期に旗本・土屋知貞が編纂したもの。近年の研究では、姉・瑞龍院日秀が建立した寺に残る史料から、兄弟全員の父の法号「妙雲院殿栄本」が1543年(天文12年)に亡くなったことが確認されており、今日の大河ドラマ『豊臣兄弟!』の時代考証を担当する黒田基樹・柴裕之両氏も、秀吉と秀長は「同父同母の兄弟」だったとする説を支持しています」(歴史ライター)

秀吉が自ら"消した"出自の謎

では、なぜ父親が誰なのかすら判然としないのか。そこに天下人・秀吉の執念が透けて見える。

1585年(天正13年)、秀吉は関白の座に就くにあたり、摂関家・近衛前久の猶子となって「藤原秀吉」と名乗るという奇策を使った。さらに新姓「豊臣」を朝廷から下賜され、自らの家系を正当化する系図を作成させているが、研究者の間では「意図的に父の経歴や姓名が改竄された可能性がある」との指摘が根強い。

「しかも秀吉自身、朝鮮国王宛の書簡やスペイン領フィリピン総督宛の書簡で『母が日輪(太陽)が懐に入る夢を見て身籠った』と公言している。『日輪の子』とは、要するに『人間の父親はいない』という宣言だ。貧農の出という現実を塗り替えるための作為が、逆に『父親の謎』を後世に残した可能性が高いのです」(同)

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