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やすし師匠のセスナに乗らされ危機一髪~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

天才漫才師と言われた『横山やすし・西川きよし』のやすし師匠のことを、破天荒で怖いというイメージを持っている人は多いかもしれません。やすし師匠に怒られた芸人は結構いますから。でも、俺は1回もないんです。むしろ可愛がってもらいましたね。

B&Bに消防車のネタがあって、劇場でそれをやった時、たまたま次の出番が〝やすきよ〟さんだった。やすし師匠が舞台袖で見ていてくれたんです。出番が終わって、「お先でございました」と挨拶すると、「このネタは誰が作ったんや?」と師匠に声を掛けられ、「僕です」と答えたら、「お前は売れるで!」と言われたんです。それからは飲みに連れて行ってもらったりするなど、可愛がってもらうようになりました。ビートたけしを紹介してくれたのも、やすし師匠でした。

俺は、幼い頃から漫才や落語を見たことがなかった。嫁さんと都会へ出たくて大阪へ行った時、たまたまなんばグランド花月で、やすきよさんや中田カウス・ボタンさん、桂三枝(現・桂文枝)さんなど、当時売れっ子だった人たちを生で見たのがキッカケで漫才師になったんです。腕のある売れっ子の人たちは、ものすごくお客さんにウケている…。それを見た俺は簡単そうに見えたんですね。

漫才ブームでB&Bは、やすきよさんたちと一緒に全国区になった。なんばグランド花月で、やすきよさんと同じ舞台の日もあった。出番が終わると、「洋七、明日は暇か?」とやすし師匠が聞くから「午前中は空いています」と答えると、「明日の朝8時にここで待っとけ」と言われたことがあったんです。

“無免許セスナ”で20分の飛行

やすし師匠はメチャクチャ酒を飲むけど、さすがに朝の8時からは飲まないだろうし、何をするのかなと思って翌日指定された場所へ行くと、タクシーに乗せられて大阪の八尾空港へ。空港に着くと、ガレージへ連れて行かれました。

ガレージの中にはセスナがあって、「乗れ」と一言。やすし師匠に言われるがままセスナに乗ったんです。俺は高所恐怖症だから、乗りたくなかったんだけど、先輩だから断れない。いざ離陸して「忙しいのによく免許を取る時間がありましたね」と恐る恐る聞くと、「免許なんかあるか」と師匠が言うんですよ。

慌てて「降ろしてください」と頼むと、やすし師匠は「心配せんでエエ。仮免は持っとるねん。横に教官がおれば、運転してエエんや」。「僕は教官ちゃいます」と返したんですが、やすし師匠は「エエから黙って乗っとけ。男やろ」と結局、20分くらい飛んだんです。その間の俺は怖くて怖くて汗はかくわ、涙は出るわで大変でした。着陸すると、「お前は根性ないヤツやな」と言われましたね。

25年前の1996年1月にやすし師匠は亡くなった。テレビで桂文枝さん、西川きよしさんと、やすし師匠の思い出を語る機会があったんです。師匠のセスナに乗った話をしたら、きよし師匠に「お前、ホンマに乗ったん? 芸人は何十人も誘われたけど、ホンマに乗ったんはお前だけやで。オチないでよかったな」って同情されました(笑)。

やすし師匠は本当に適当な人でしたけど、憎めない人でした。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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