三島由紀夫ゆかりのホテルで執筆断念…10万部ヒット作を生んだ“奇妙な因縁”【怪人/快人伝 第3回】

昭和44年5月3日、東大全共闘が主催した討論集会に出席した三島由紀夫

三島由紀夫が残した静かな重圧

そうした三島事件の取材に直面したのちの17年後、私は三島と奇妙にして、なんとも偶然の“出会い”をするのである。

時に、私は文藝春秋の出版編集部のA氏から、元国際興業社主・小佐野賢治の人生と商法について執筆依頼を受け、靖国神社のすぐそば、千代田区九段下にあったホテル・グランドパレスにカンヅメになった。A氏いわく「ホテルに1室取るから10日間で書き上げてくれ」というものであった。

案内されたガランとしたその部屋の隅には、何の変哲もない木製の机が置かれており、A氏はこう続けたのである。

「この部屋は三島由紀夫さんがよく籠もって執筆していたところです。小林サンも、がんばってください」

そう言われて、いささか足が竦んだ。かつてインタビューの時間に遅れて気分を害させ、その後、三島事件というショックにも直面したあの“大三島〟である。彼がこの木製の机で、知的にして饒舌、しかし寸分の隙もない文章と闘っていたのを想起すると、畏縮してとても落ち着いて原稿など書けるワケがなかったのである。

折から、大島の三原山が爆発し、テレビは連日その模様を流していたことから、そっちのほうにも気を取られ、結局、1週間で原稿用紙3枚ほど書き上げたところでギブアップした。書く気がまったく起こらず、夜ごとホテルを抜け出しては、川上宗薫よろしく、近くの四谷荒木町の飲み屋に出向いていたのである。

編集部のA氏には、「あと1週間ください。私の事務所に戻って、ぶっ倒れても書き上げますから」と懇願し、ホテルを引き揚げさせてもらった。

結局、A氏には約束よりさらに1週間近く遅れたものの、なんとか書き上げることができた。発売後の結果はよく、10万部近くのヒット作となり、なんとか面目を施すことができた。かく、三島とは、私なりに因縁めいたものを感じているのである。